大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

水鳥の鴨の羽色の・・・巻第8-1451・1616

訓読 >>>

1451
水鳥(みづどり)の鴨(かも)の羽色(はいろ)の春山(はるやま)のおほつかなくも思ほゆるかも

1616
朝ごとに我(わ)が見る宿(やど)のなでしこの花にも君はありこせぬかも

 

要旨 >>>

〈1451〉水鳥の鴨の羽色のような春の山が、ぼんやり霞んでいるように、あなたのお気持がはっきりと分かりません。

〈1616〉毎朝私が見る庭のナデシコの花が、あなたであってほしい。

 

鑑賞 >>>

 笠郎女大伴家持に贈った歌。1451の「水鳥の」は「鴨」の枕詞。上3句は「おほつかなくも」を導く序詞。不安な気持ちを、霞がかかってぼんやりとしか見えない春の山に喩えています。詩人の大岡信は、「郎女の特色であるイメージの客観的迫力において、抜群のものがある」として、「水鳥の鴨の羽色の春山のおほつかなくも」という譬喩は、万葉集全作品の中でも有数の鮮烈な魅力をもった譬喩ではないか、と評しています。

 逃げ腰で冷淡ともいえる家持に対し、郎女は時には強く恨み、時には婉曲に訴えていますが、この歌はかなり婉曲的といってよい訴えとなっています。1616の「ありこせぬかも」の「こせ」は、希求の意、「ぬかも」は、願望。ここの2首は、巻第3の連作につながりのあるものとされます。

 笠郎女の歌は、巻第3の譬喩歌に3首、巻第4の相聞歌に24首、巻第8の春と秋の相聞に1首ずつあります。これの巻はほぼ年代順に並べられており、前後の歌との比較から笠郎女の歌は天平5年ごろのごく短い期間に作られたものとされています。この時の郎女の年齢は不明ですが、家持は15歳前後だったことになります。

 窪田空穂は、歌人としての笠郎女について次のように述べています。「笠郎女は、その歌に現れているところから見ると、知性のもつ強さと、感性のもつ柔らかさを兼ね備えている人で、それが融け合って一つとなり、しかも互いに陰影となり合っているという趣きをもった人である。同時に歌才の豊かな人で、充実し、緊張した感を、余裕をもって細かくあらわしうる人で、歌人として集中でも傑出した一人である」。また、「この時期を代表する女流歌人は、大伴坂上郎女とこの笠郎女である。坂上郎女の聡明と、落ち着きと、また階級よりくる気品の点では、笠郎女は及ばない。しかし笠郎女のもつ庶民に近い熱意と奔放とまた世代の若さよりくる溌剌さとは、坂上郎女のもち得なかったものであり、さらにまたいかなる境をも詠み生かす詩情の豊かさにおいては、笠郎女のほうが遙かにまさっているといえる」