訓読 >>>
1451
水鳥(みづどり)の鴨(かも)の羽色(はいろ)の春山(はるやま)のおほつかなくも思ほゆるかも
1616
朝ごとに我(わ)が見る宿(やど)のなでしこの花にも君はありこせぬかも
要旨 >>>
〈1451〉水鳥の鴨の羽色のような春の山が、ぼんやり霞んでいるように、あなたのお気持がはっきりと分かりません。
〈1616〉毎朝私が見る庭のナデシコの花が、あなたであってほしい。
鑑賞 >>>
笠郎女が大伴家持に贈った歌。1451の「水鳥の」は「鴨」の枕詞。上3句は「おほつかなくも」を導く序詞。不安な気持ちを、霞がかかってぼんやりとしか見えない春の山に喩えています。この歌について詩人の大岡信は、「郎女の特色であるイメージの客観的迫力において、抜群のものがある」として、「水鳥の鴨の羽色の春山のおほつかなくも」という譬喩は、万葉集全作品の中でも有数の鮮烈な魅力をもった譬喩ではないか、と評しています。この歌は巻第8の「春の相聞」の中に置かれており、郎女の恋歌の中では初期のものであろうといわれます。たしかに巻第4の一連の歌から感じられる恋の激しさ、自虐、諦念とは違い、情感に初々しさがあります。また、逃げ腰で冷淡ともいえる家持に対し、郎女は時には強く恨み、時には婉曲に訴えていますが、この歌はかなり婉曲的といってよい訴えとなっています。
なお、巻第20に、家持が、天平宝字2年の正月7日の侍宴のために予め作ったという歌「水鳥の鴨の羽音の青馬を今日見る人は限りなしといふ」(4494)が載っており、家持は郎女の歌を手にすることによって「習作」つまり「歌学び」の対象とした可能性が指摘されています。こうした恋物語においても、お互いに「歌学び」の機会が大いにあったことは想像に難くありません。
1616の「宿」は、家の敷地、庭先。「ありこせぬかも」の「こせ」は、希求の意、「ぬかも」は、願望。窪田空穂は、「女郎の歌としては平凡なものであるが、三句以下は、まつわりつくがごとき調べをもっている」と評しています。ここの2首は、巻第3の連作(395~397)につながりのあるものとされます。
笠郎女の歌は、巻第3の譬喩歌に3首、巻第4の相聞歌に24首、巻第8の春と秋の相聞に1首ずつあります。これらの巻はほぼ年代順に並べられており、前後の歌との比較から笠郎女の歌は天平5年ごろのごく短い期間に作られたものとされています。この時の郎女の年齢は不明ですが、家持は15歳前後だったことになります。
窪田空穂は、歌人としての笠郎女について次のように述べています。「笠郎女は、その歌に現れているところから見ると、知性のもつ強さと、感性のもつ柔らかさを兼ね備えている人で、それが融け合って一つとなり、しかも互いに陰影となり合っているという趣きをもった人である。同時に歌才の豊かな人で、充実し、緊張した感を、余裕をもって細かくあらわしうる人で、歌人として集中でも傑出した一人である」。また、「この時期を代表する女流歌人は、大伴坂上郎女とこの笠郎女である。坂上郎女の聡明と、落ち着きと、また階級よりくる気品の点では、笠郎女は及ばない。しかし笠郎女のもつ庶民に近い熱意と奔放とまた世代の若さよりくる溌剌さとは、坂上郎女のもち得なかったものであり、さらにまたいかなる境をも詠み生かす詩情の豊かさにおいては、笠郎女のほうが遙かにまさっているといえる」