大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

遣新羅使人の歌(13)・・・巻第15-3595~3599

訓読 >>>

3595
朝開(あさびら)き漕ぎ出(で)て来れば武庫(むこ)の浦の潮干(しほひ)の潟(かた)に鶴(たづ)が声すも

3596
我妹子(わぎもこ)が形見(かたみ)に見むを印南都麻(いなみつま)白波(しらなみ)高み外(よそ)にかも見む

3597
わたつみの沖つ白波立ち来(く)らし海人娘子(あまをとめ)ども島隠(しまがく)る見ゆ

3598
ぬばたまの夜(よ)は明けぬらし玉の浦にあさりする鶴(たづ)鳴き渡るなり

3599
月読(つくよみ)の光を清み神島(かみしま)の磯廻(いそみ)の浦ゆ船出(ふなで)す我(わ)れは

 

要旨 >>>

〈3595〉朝早くに船を漕ぎ出してきたら、武庫川の河口あたりの干潟に、鶴の鳴く声がしていた。

〈3596〉妻を偲ぶよすがと思って印南都麻の方向を見ようとしたが、白波が高くて、遠くからではよく見えない。

〈3597〉海の神が沖に白波を立てている。折しも、海人乙女らの舟が島陰へと消えて行くのが見える。

〈3598〉夜がようやく明けていくようだ。玉の浦で餌をあさる鶴が鳴き渡っていく声が聞こえる。

〈3599〉月の光が清らかなので、それを頼りに、神島の磯の入江の港から船出をするのだ、我々は。

 

鑑賞 >>>

 難波を出港し、船に乗り海路に入って作った歌。3595の「鶴が声すも」は、妻を呼ぶ鶴の声として歌っています。「武庫の浦」は、兵庫県を流れる武庫川の河口付近の海。早朝に武庫の浦を出発した一行は今の西宮、芦屋の海岸沿いを西に進みました。3596の「印南都麻」は、加古川河口付近の地名。この地は景行天皇の印南別嬢(いなみのわきのいらつめ)への求婚話(『播磨国風土記』)に出ており、その伝説を知っていたのでしょう。3597の「わたつみ」は、海の神。3598の「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。「玉の浦」は、岡山県玉野市の玉、あるいは倉敷市玉島あたりか。3599の「月読」は、月を神と見立てた語。「神島」は、岡山県笠岡市神島(こうのしま)あるいは広島県福山市神島町(かしまちょう)のいずれかと考えられています。