大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

平群女郎が大伴家持に贈った歌(1)・・・巻第17-3931~3936

訓読 >>>

3931
君により我が名はすでに龍田山(たつたやま)絶えたる恋の繁(しげ)きころかも

3932
須磨人(すまひと)の海辺(うみへ)常(つね)去らず焼く塩の辛(から)き恋をも我(あ)れはするかも

3933
ありさりて後(のち)も逢(あ)はむと思へこそ露(つゆ)の命(いのち)も継(つ)ぎつつ渡れ

3934
なかなかに死なば安(やす)けむ君が目を見ず久(ひさ)ならばすべなかるべし

3935
隠(こも)り沼(ぬ)の下(した)ゆ恋ひあまり白波(しらなみ)のいちしろく出でぬ人の知るべく

3936
草枕(くさまくら)旅にしばしばかくのみや君を遣(や)りつつ我(あ)が恋ひ居(を)らむ

 

要旨 >>>

〈3931〉あなたとの浮き名はすでに立ってしまいました。絶えてしまった恋への思いが近ごろしきりにつのります。

〈3932〉須磨の海人がいつも海岸で焼く塩のような、そんな辛い恋を私はしています。

〈3933〉このまま生き永らえて、後も逢おうと思うからこそ、露のようなはかないこの命をつないで暮らしています。

〈3934〉かえって死んでしまえば楽でしょう。あなたの姿を見ずに久しくなれば、やるせないことでしょう。

〈3935〉隠り沼のように心密かに恋い焦がれていのに、白い波のようにはっきりと顔に出てしまいました。世間の人が知ってしまうほどに。

〈3936〉旅にしばしば出て行かれるあなたを、これから先も私は、こうして見送りながら、恋い焦がれていなければならないのでしょうか。

 

鑑賞 >>>

 越中国守として赴任した大伴家持に対し、京に住む平群女郎(へぐりのいらつめ:伝未詳)から、後を追うように複数回にわたり贈られた歌12首のうちの6首。この時期、坂上大嬢のほか、複数の女性との関係があったことが窺えます。歌の内容から見ると、家持が聖武天皇に従って恭仁京などを転々としていた時期の終わりごろに、二人は親密になり、家持が越中に赴任するまでの、それほど長くない期間、恋仲だったらしく思われます。巻第17になってはじめて登場し、家持に恋歌を贈っている女性たちの中では、笠郎女に次いで、その歌の数が多くなっています。

 3931の「龍田山」は、奈良県生駒郡三郷町大阪府柏原市の間の山々の古名。「浮き名が立つ」と「恋を絶つ」との掛詞になっています。3932の上3句は「辛き」を導く序詞。下2句は慣用句。3933の「ありさりて」は「ありしありて」の約で、生き永らえて。3934の「なかなかに」は、かえって、むしろ。3935の「隠り沼の」「白波の」は、それぞれ「下」「いちしろく」の枕詞。「いちしろく」は、はっきりと。巻第12-3023と同じで、 古歌を借りて自らの思いを打ち明けています。3936の「草枕」は「旅」の枕詞。「旅にしばしば」は、家持が恭仁、難波、越中へと移動が続いていること。