大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

平群女郎が大伴家持に贈った歌(2)・・・巻第17-3937~3942

訓読 >>>

3937
草枕(くさまくら)旅(たび)去(い)にし君が帰り来(こ)む月日を知らむすべの知らなく

3938
かくのみや我(あ)が恋ひ居(を)らむぬばたまの夜(よる)の紐(ひも)だに解(と)き放(さ)けずして

3939
里近く君が業(な)りなば恋ひめやともとな思ひし我(あ)れぞ悔(くや)しき

3940
万代(よろづよ)に心は解けて我が背子(せこ)が捻(つ)みし手見つつ忍(しの)びかねつも

3941
うぐひすの鳴くくら谷にうちはめて焼けは死ぬとも君をし待たむ

3942
松の花(はな)花数(はなかず)にしも我(わ)が背子(せこ)が思へらなくにもとな咲きつつ

 

要旨 >>>

〈3937〉(越中に)旅立ってしまったあなたが、いつ帰って来られるのか、その月日を知る手がかりさえも分からなくて。

〈3938〉このようにばかり、いつまでも恋い焦がれているのでしょうか。夜の衣の紐も解き放たずに。

〈3939〉私の里近くにあなたが日々を過ごしていらっしゃれば、恋い焦がれることなどあろうかと、わけもなく思っていた私が、今では悔しくてなりません。

〈3940〉いついつまでも変わるまいと心を解いて、あなたがつねった手を見ていると、耐え難くなります。

〈3941〉鴬が鳴く深い谷間に身を投げて、たとえ焼け死ぬようなことがあろうと、ただあなたをお待ちしています。

〈3942〉松の花が花の数にも入らないと、あなたは思っていらっしゃるけれど、心もとなくも咲いています。

 

鑑賞 >>>

 平群女郎(へぐりのいらつめ:伝未詳)が、越中に旅立った家持に贈った歌の続き。都からの折々の使いに託して贈ったもの、との左注があります。

 3937の「草枕」は「旅」の枕詞。国守の任期はふつう4年でしたが、若い女郎にとっては遥かに遠い先のことに思えたとみえます。「来む」「知らむ」「知らなく」と同じ形が重なっているところから、作歌の不馴れが窺える歌となっています。3938の上2句は慣用句。「ぬばたまの」は「夜」の枕詞。3939の「もとな」は、わけもなく。3940の「捻む」は、つねる。『万葉集』には珍しく男女間の戯れの具体的行為が表現されています。3941の「くら谷」は、谷間。3942の「もとな」は、わけもなく、心もとなくも。家持に顧みられることのない自分を嘆き、目立たない松の花に喩えています。

 一連の平群女郎の歌については、古歌との類同表現が多い、また表現がこなれていない印象がある等の理由から、必ずしも高く評価されていないものの、ままならない恋にひっそり悩む乙女心の動揺がしみじみと感じられます。詩人の大岡信は、「平群女郎の歌には、笠女郎の捨て身の激しさがなく、相手の優位性を意識している教養豊かな女性が、つつましやかに恋歌を詠んでいるという感じがする」と述べています。なお、ここには女郎の歌があるのみで、家持の歌はありません。おそらく返しをしなかったものとみられます。冷たい男です。