訓読 >>>
1668
白崎(しらさき)は幸(さき)くあり待て大船(おほぶね)に真梶(まかぢ)しじ貫(ぬ)きまたかへり見む
1669
南部(みなべ)の浦(うら)潮な満ちそね鹿島(かしま)なる釣りする海人(あま)を見て帰り来(こ)む
1670
朝開(あさびら)き漕(こ)ぎ出て我(わ)れは由良(ゆら)の崎(さき)釣りする海人(あま)を見て帰り来(こ)む
1671
由良(ゆら)の崎(さき)潮(しほ)干(ひ)にけらし白神(しらかみ)の磯の浦廻(うらみ)をあへて漕ぐなり
要旨 >>>
〈1668〉白崎よ、今の美しい姿のままで待っていてくれ。大船に多くの梶を取りつけて、また帰りにお前を眺めるから。
〈1669〉この南部浦に、そんなに潮は満ちないでほしい。鹿島で釣りをしている漁師を見て帰って来たいから。
〈1670〉朝早く漕ぎ出して、由良の崎で釣りをしている漁師を見て帰って来よう。
〈1671〉由良の崎ではもう潮が引いてしまっているらしい。白神の磯の海岸を精一杯に漕いでいる。
鑑賞 >>>
大宝元年(701年)10月に、持統太上天皇と文武天皇が紀伊国へ行幸なさったときの歌13首のうちの4首。いずれも作者未詳歌。
1668の「白崎」は、和歌山県日高郡由良町にある岬。「幸く」は、変わることなく。「あり待て」は、待ち続けていよ。「真梶しじ貫き」は、左右の艪を多く取り付けての意で、官船を讃えていったもの。「またかへり見む」は成句で、見飽かない心をいったもの。1669の「南部の浦」は、南部町の海岸。「潮な満ちそね」の「な~そ」は禁止、「ね」は願望。「鹿島」は、南部の沖にある島。1670の「朝開き」は、朝に船出する意の語。「由良の崎」は、由良港付近の岬。「白神の磯」は所在地未詳。1671の「白神の磯」は、由良の崎に近い海岸。この歌は、作者が白神の磯の海岸にいて漕ぐ舟を見ているのか、あるいは自身がその舟中にいるのか解釈が別れるところです。