大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

闇ならばうべも来まさじ・・・巻第8-1452

訓読 >>>

闇(やみ)ならばうべも来まさじ梅の花咲ける月夜(つくよ)に出(い)でまさじとや

 

要旨 >>>

闇夜ならば、こちらに来られないのも当然でしょう。でも、梅の花が咲いている月夜にも、おいでにならないつもりですか。

 

鑑賞 >>>

 紀女郎(きのいらつめ)の歌。相手の男が訪ねて来ないことに不満を述べた、女性の恨みの歌です。誰に贈った歌かは分かりません。「待つ」思いと裏腹にある相手への不信と不満を、月夜に花開く梅というみやびな自然風物にこと寄せて訴えています。「うべ」は、もっともだ。「来まさじ」は「来じ」の尊敬語。

 紀女郎は奈良中期の人で、名は小鹿(おしか)。安貴王(あきのおおきみ)の妻でしたが、夫の裏切りにあい、巻第4-643~645で恨みの歌を詠んでいます。そして、その後出会った年下の大伴家持との贈答歌で知られています。

 この歌からは、逢引はもっぱら月夜に行われたことが分かります。闇夜なら来ないのも納得できるというのは、闇夜には逢引をせずに家に籠っていたからです。闇夜に松明をかかげて来たり、星月夜の明るさに来たりする例は一つもなく、月夜だけがうたわれるのは、それが特殊な夜だったからです。それは、日の光を浴びてこの世のものが成長するように、月の光を浴びてその呪力を身に得ることによって、特殊な存在になりえ、夜も外に出られるようになるということを意味します。だから逆に、ふだんは月の光を浴びるのは禁忌とされました。時代は下りますが、平安末期の『更級日記』には、月の光を浴びるのを不吉に感じる場面があります。ふだんは禁忌というのは、特殊な場合はむしろそうしなくてはならないことを意味します。逢引はまさにその特殊なもの、神の側のものだから、月の光を浴びて出かける必要があったのです。