大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

宴席の歌(1)・・・巻第19-4279~4281

訓読 >>>

4279
能登川(のとがは)の後(のち)には逢はむしましくも別るといへば悲しくもあるか

4280
立ち別れ君がいまさば磯城島(しきしま)の人は我れじく斎)いは)ひて待たむ

4281
白雪(しらゆき)の降り敷く山を越え行かむ君をぞもとな息(いき)の緒(を)に思ふ

 

要旨 >>>

〈4279〉後にはお逢いできましょうが、しばらくの別れと分かっていても、やはり悲しいものですね。

〈4280〉別れてあなたが行かれたなれば、大和の国の人々は、私と同じように神にお祈りしてお待ちするでしょう。

〈4281〉白雪の降り敷く山を越えて行かれるあなたを、無性に息も絶えるばかりに思っています。

 

鑑賞 >>>

 天平勝宝4年(752年)11月27日、林王(はやしのおおきみ)の家での、按察使(あんせつし)として但馬に出立する橘奈良麻呂(たちばなのならまろ)朝臣の送別の宴の歌。按察使とは、地方行政を視察する使者のこと。橘奈良麻呂諸兄の子で、諸兄が亡くなった後の757年、藤原仲麻呂を排除しようとした計画(橘奈良麻呂の乱)が失敗し、獄死した人物です。

 4279は、治部卿(じぶのきょう)船王(ふねのおおきみ)の歌。「能登川」は高円山三笠山の間を流れ、佐保川に注ぐ細流。「能登川の」は「後」の枕詞。4280は、右京少進(うきょうのしょうしん)大伴宿祢黒麻呂(おおとものすくねくろまろ)の歌。「いまさば」は「行く」の尊敬語。「磯城島」は「大和」の意。「我れじく」は、自分と同じように。「斎ふ」は、神に祈って身を慎む。

 4281は、少納言大伴宿祢家持の歌。「もとな」は、無性に。「息の緒に」は、命を懸けて。なお、左注に「左大臣橘諸兄)は、結句を換えた『息の緒にする』と言う。しかし、また取り消して『前の通りに詠め』と言った」との記載があり、諸兄も宴に同席していたことが分かります。また、このやり取りから、作歌に際しては、先輩の評を受けての改作が行われていたことが窺えます。