大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

聖武天皇の印南野行幸の折、笠金村が作った歌・・・巻第6-935~937

訓読 >>>

935
名寸隅(なきすみ)の 舟瀬(ふなせ)ゆ見ゆる 淡路島 松帆(まつほ)の浦に 朝なぎに 玉藻(たまも)刈りつつ 夕なぎに 藻塩(もしほ)焼きつつ 海人娘子(あまをとめ) ありとは聞けど 見に行(ゆ)かむ よしのなければ ますらをの 心はなしに たわやめの 思ひたわみて た廻(もとほ)り 我(あ)れはぞ恋ふる 舟梶(ふなかじ)をなみ

936
玉藻(たまも)刈る海人娘子(あまをとめ)ども見に行かむ舟楫(ふなかぢ)もがも波高くとも

937
行き廻(めぐ)り見(み)とも飽(あ)かめや名寸隅(なきすみ)の舟瀬(ふなせ)の浜にしきる白波

 

要旨 >>>

〈935〉名寸隅(なきすみ)の舟着き場から見える淡路島の松帆の浦で、朝凪ぎの時には藻を刈り、夕凪ぎの時には藻塩を焼いている、海人の娘子たちがいると聞いているが、その娘子たちを見に行く手だてがないので、ますらおの雄々しい心はなく、たわやめのように思いしおれ、行こうこうか行くまいかと逡巡しながら思い焦がれてばかりいる。舟も櫂もないので。

〈936〉玉藻を刈っている海人の娘子たちを見に行く舟や櫂があったらよいのに。波が高く立っていようとも。

〈937〉行きつ戻りつして、いくら見てても飽きることがあろうか。この名寸隅の舟着き場にしきりに押し寄せる白波は。

 

鑑賞 >>>

 神亀3年(726年)秋の9月、聖武天皇播磨国の印南野に行幸あったとき、従駕の笠金村が作った歌。935の「名寸隅」は、明石市魚住町付近。「舟瀬」は、舟着き場。「松帆の浦」は、淡路島の北端あたり。「藻塩焼きつつ」とあるのは、当時の製塩法の一つで、海藻を天日で乾かし、何度も何度も海水を汲み上げては掛けて塩分の濃度を高めて火で焼く作業のこと。「た廻り」は、同じ場所を往き来する意。「舟梶をなみ」は、舟や櫂がないので。936の「もがも」は、願望。937の「しきる」は、しきりに寄せる。