大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

あり通ふ難波の宮は・・・巻第6-1062~1064

訓読 >>>

1062
やすみしし 我(わ)が大君(おほきみ)の あり通(がよ)ふ 難波(なには)の宮は いさなとり 海(うみ)片付(かたづ)きて 玉(たま)拾(ひり)ふ 浜辺(はまへ)を近み 朝(あさ)羽振(はふ)る 波の音(おと)騒(さわ)き 夕なぎに 楫(かぢ)の音(おと)聞こゆ 暁(あかとき)の 寝覚(ねざめ)に聞けば 海石(いくり)の 潮干(しほひ)の共(むた) 浦渚(うらす)には 千鳥(ちどり)妻呼び 葦辺(あしへ)には 鶴(たづ)が音(ね)響(とよ)む 見る人の 語りにすれば 聞く人の 見まく欲(ほ)りする 御食(みけ)向(むか)ふ 味経(あじふ)の宮は 見れど飽(あ)かぬかも

1063
あり通(がよ)ふ難波(なには)の宮は海(うみ)近み海人娘子(あまをとめ)らが乗れる舟見ゆ

1064
潮(しほ)干(ふ)れば葦辺(あしへ)に騒(さわ)く白鶴(しらたづ)の妻呼ぶ声は宮もとどろに

 

要旨 >>>

〈1062〉安らかに天下を支配される我れらの大君が、いつも通われる難波の宮は、海に面していて玉を拾う浜辺が近いので、朝は勢いよく寄せる波の音が高く、夕なぎ時には舟を操る櫂の音が聞こえる。暁の目覚めに聞くと、潮がひいて海の中の石が美しい石が姿を見せ、現れる浦の州には千鳥が妻を呼ぶ声がし、葦辺には鶴の鳴き声があたりを響かせる。この光景を見た人は人に語り、それを聞いた人は自分も見て見たいと思う、この味経(あじふ)の宮は、見ても見ても見飽きることがない。

〈1063〉わが大君がいつも通われるここ難波の宮は、海が近いので、海人の娘子(おとめ)たちが乗っている舟が見える。
 
〈1064〉潮が引くと、葦辺で鳴き騒ぐ白鶴たちの妻を呼ぶ声が、大宮もとどろくばかりに響き渡る。

 

鑑賞 >>>

 田辺福麻呂(たなべのさきまろ)が、難波宮で作った歌。天平17年(745年)8~9月、聖武天皇の難波離宮行幸の折に詠まれた歌ではないかとされます。

 1062の「やすみしし」は「我が大君」の枕詞。「あり通ふ」は、何度も通う。「いさなとり」は「海」の枕詞。「片付きて」は、一方が面していること。「浜辺を近み」は、浜辺が近いので。「海石」は、海中の石。「潮干の共」は、潮干とともに。「御食向ふ」は「味経」の枕詞。「味経の宮」は、難波宮を小範囲の所在地によって言ったもの。「見れど飽かぬかも」は、最上の讃えの成語。1063の「海近み」は、海が近いので。1064の「とどろに」は、とどろくまでに。