大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

中臣宅守と狭野弟上娘子の贈答歌(14)・・・巻第15-3775~3778

訓読 >>>

3775
あらたまの年の緒(を)長く逢はざれど異(け)しき心を我(あ)が思(も)はなくに
3776
今日(けふ)もかも都なりせば見まく欲(ほ)り西の御馬屋(みまや)の外(と)に立てらまし

3777
昨日(きのふ)今日(けふ)君に逢はずてする術(すべ)のたどきを知らに音(ね)のみしぞ泣く
3778
白栲(しろたへ)の我(あ)が衣手(ころもで)を取り持ちて斎(いは)へ我(わ)が背子(せこ)直(ただ)に逢ふまでに

 

要旨 >>>

〈3775〉長い間逢わないでいるけれど、不実な心など私は抱いたことなどありません。

〈3776〉都にいたなら、今日もまたあなたに逢いたくて、西の御馬屋の外に佇んでいることだろうに。

〈3777〉昨日も今日もあなたに逢えず、なすすべも知らないまま、ただ声をあげて泣いてばかりいます。

〈3778〉私がお贈りした着物の袖を両手に持ってお祈り下さい、あなた。じかにお逢いするまでずっと。

 

鑑賞 >>>

 3775・3776は、中臣宅守の歌。3775の「あらたまの」は「年」の枕詞。「年の緒」の「緒」は、「年」の語感を強めるために添えた語で、年というのと同じ。「異しき心」は、変わった心、不実な心。3776の「せば~まし」は、反実仮想。「西の御馬屋」は、宮中の西南にあった右馬寮。「馬寮」は、諸国から貢上された朝廷保有の馬の飼育・調教にあたった官職・部署のことで、左馬寮と右馬寮に分かれていました。二人はかつて右馬寮でよく逢っていたとみえます。

 3777・3778は、娘子が応じて贈った歌。3777の「たどき」は、手がかり。3778の「白栲の」は「衣」の枕詞。「斎ふ」は、物忌みをする。