大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

かくしてやなほや老いなむ・・・巻第7-1349~1352

訓読 >>>

1349
かくしてやなほや老いなむみ雪降る大荒木野(おひあらきの)の小竹(しの)にあらなくに

1350
近江のや八橋(やばせ)の小竹(しの)を矢はがずてまことありえむや恋(こほ)しきものを

1351
月草(つきくさ)に衣(ころも)は摺(す)らむ朝露に濡れての後(のち)はうつろひぬとも

1352
我が心ゆたにたゆたに浮蓴(うきぬなは)辺(へ)にも沖にも寄りかつましじ

 

要旨 >>>

〈1349〉私は、雪の降る大荒木野の篠竹(しのだけ)ではないのに、恋を遂げずにこのまま朽ち果てるのは残念だ。

〈1350〉近江のあの八橋の篠竹を刈り取って矢にしないなどということがあるものか、これほど恋しくてならないのに。

〈1351〉露草で着物を染めることにしましょう。朝露に濡れたあとは色があせてしまうだろうけれど。

〈1352〉私の心はゆらゆらと揺れ動いて、浮きぬなわのように、岸にも沖にも寄ってしまえそうもありません。

 

鑑賞 >>>

 「草に寄せる」歌。1349の「大荒木野」は、奈良県五條市今井の荒木神社辺りにあった野。「小竹」は、群生する細い竹。女の歌だという説もありますが、いかがでしょうか。1350の「八橋」は、滋賀県草津市矢橋町あたりとされています。矢をはぐのは、小竹に矢じりや羽をつけて矢にすること。「好きな女性のことを小竹にたとえていて、結ばれたかったのに叶わなかったようです。

 1351の「月草」は、露草(つゆくさ)の古名。昔はこの草で布を染めましたが、すぐに色あせてしまうため、移ろいやすく、はかない恋心の譬えに使われます。プレイボーイに惚れてしまい、悩みは尽きない娘が、それでもいい、私はあの人なしではいられない、と決心した歌です。「衣摺る」は、体の関係を持つこと、「朝露に濡れての後は」は、結婚して後のことを喩えています。

 1352の「ゆた」は、ゆったりゆらゆらと揺れ漂うさま。「たゆたに」の「た」は接頭語で「ゆたに」を重ねて強めた表現。「浮き蓴」は、池や沼に生えるスイレン科の多年草ジュンサイ。ぬめりのある茎や葉は食用にされました。「寄りかつましじ」の「かつ」は可能、「ましじ」は打消しの推量。揺れる恋に悩む女性の歌でしょうか、あるいは、男女共用の民衆歌として広く親しまれたとも伝わります。