訓読 >>>
闇(やみ)ならばうべも来まさじ梅の花咲ける月夜(つくよ)に出(い)でまさじとや
要旨 >>>
闇夜ならば、こちらに来られないのも当然でしょう。でも、梅の花が咲いている月夜にも、おいでにならないつもりですか。
鑑賞 >>>
紀女郎(きのいらつめ)が、相手の男が訪ねて来ないことに不満を述べた、女性の恨みの歌です。誰に贈った歌かは分かりません。紀女郎は奈良中期の人で、名は小鹿(おしか)。安貴王(あきのおおきみ)の妻でしたが、夫の裏切りにあい、巻第4-643~645で恨みの歌を詠んでいます。そして、その後出会った年下の大伴家持との贈答歌で知られています。
月夜に花開く梅が、男を待ち望む女の比喩になっています。「うべ」は、もっともだ。この歌から、逢引はもっぱら月夜に行われたことが分かります。闇夜なら来ないのも納得できるというのは、闇夜には逢引をせずに家に籠っていたからです。闇夜に松明をかかげて来たり、星月夜の明るさに来たりする例は一つもなく、月夜だけがうたわれるのは、それが特殊な夜だったからです。
それは、日の光を浴びてこの世のものが成長するように、月の光を浴びてその呪力を身に得ることによって、特殊な存在になりえ、夜も外に出られるようになるということを意味します。だから逆に、ふだんは月の光を浴びるのは禁忌とされました。時代は下りますが、平安末期の『更級日記』には、月の光を浴びるのを不吉に感じる場面があります。ふだんは禁忌というのは、特殊な場合はむしろそうしなくてはならないことを意味します。逢引はまさにその特殊なもの、神の側のものだから、月の光を浴びて出かける必要があったのです。