大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

大伴旅人の松浦川に遊ぶ歌(3)・・・巻第5-858~860

訓読 >>>

858
若鮎(わかゆ)釣る松浦(まつら)の川の川なみの並(なみ)にし思はば我(わ)れ恋ひめやも

859
春されば吾家(わぎへ)の里の川門(かはと)には鮎子(あゆこ)さ走(ばし)る君待ちがてに

860
松浦川(まつらがは)七瀬(ななせ)の淀(よど)は淀むとも我(わ)れは淀まず君をし待たむ

 

要旨 >>>

〈858〉若鮎を釣る松浦の川の川波の、なみに(ふつうに)思うだけなら、どうして私が恋などいたしましょうか。

〈859〉春が来ると、私の里の川の渡し場では子鮎が走り回ります。あなたを待ちあぐんで。

〈860〉松浦川の七瀬の淀は淀んで流れないことがあっても、私は淀むことなく、ずっとあなたをお待ちしましょう。

 

鑑賞 >>>

 853~857からの続きで、乙女らがさらに返した歌です。858が857に、859が856に、860が855に応じており、実作者は大伴旅人、あるいは別の大宰府某官人ではないかとされます。858の上3句は「並にし」を導く序詞。「川なみ」は川の流れ。859の「川門」は、川の渡し場。「さ走る」の「さ」は、接頭語。「待ちがてに」は、待ちあぐんで、待ちきれなくて。