大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

遣新羅使人の歌(15)・・・巻第15-3656~3658

訓読 >>>

3656
秋萩(あきはぎ)ににほへる我(わ)が裳(も)濡(ぬ)れぬとも君が御船(みふね)の綱(つな)し取りてば

3657
年(とし)にありて一夜(ひとよ)妹(いも)に逢ふ彦星(ひこほし)も我(わ)れにまさりて思ふらめやも

3658
夕月夜(ゆふづくよ)影立ち寄り合ひ天(あま)の川(がは)漕ぐ舟人(ふなびと)を見るが羨(とも)しさ

 

要旨 >>>

〈3656〉秋萩に美しく染まった私の裳が濡れようとも、川を渡って来られたあなた様(牽牛)の御船の綱を手に取って岸に繋ぐことができたら。

〈3657〉一年にただ一夜だけ妻に逢う彦星も、この私以上にせつない思いをしているとは思えません。

〈3658〉夕月夜に、彦星と織女の影がしだいに寄り合い、天の川を舟を漕いで渡っていく彦星を見ると羨ましくなる。

 

鑑賞 >>>

 題詞に「七夕に天漢(あまのがは)を仰ぎ觀て各(おのおの)思ひを陳(の)べて作る歌三首」とあります。3656は、大使の阿倍継麻呂(あべのつぐまろ)の歌で、織女の立場になって詠んでいます。「秋萩」は、萩の花を意味する慣用語。「にほへる」は、美しく染まった。「取りてば」は、取ることができて。嬉しい心情を含む余韻表現です。

 3657の「年にありて」は、一年のうちにあっての意で、一年に一度だけというような場合に用いられます。「思ふらめやも」の「や」は反語。作者は若い人だったようです。3658の「影立ち寄り合ひ」は、彦星と織女の影が寄り合う意。「天の川漕ぐ舟人」は彦星のこと。「見るが羨しさ」は、見ることの羨ましさよ。