大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

霍公鳥こよ鳴き渡れ・・・巻第18-4054~4055

訓読 >>>

4054
霍公鳥(ほととぎす)こよ鳴き渡れ燈火(ともしび)を月夜(つくよ)に比(なそ)へその影も見む

4055
可敝流(かへる)みの道(みち)行(ゆ)かむ日は五幡(いつはた)の坂に袖(そで)振れ我(わ)れをし思はば

 

要旨 >>>

〈4054〉ホトトギスよ、ここを鳴き渡っておくれ。燈火を月の光に見立てて掲げ、飛ぶその姿も見たいものだ。

〈4055〉都に帰るという可敝流(かへる)の山のあたりを通って行く日には、五幡(いつはた)の坂で袖を振って下さい。私どもの忘れ難さを思って下さるなら。

 

鑑賞 >>>

 大伴家持の歌。天平20年3月26日、掾(じょう)米朝臣広縄(くめのあそみひろなわ)の館で田辺福麻呂(たなべのさきまろ)をもてなして宴を催したときに詠まれた歌です。「掾」は国司の三等官。福麻呂が越中に滞在した期間は不明ですが、この日の宴が、帰京する福麻呂の送別会だったとみられます。

 4054の「こよ」は、ここを通って。「比へ」は、なぞらえて、見立てて。「影」は、姿。ホトトギスを暗に福麻呂に喩えています。4055の「可敝流み」の「可敝流」は、福井県南条郡南越前町今庄の地。「(都へ)帰る」を掛けています。「五幡の坂」は、敦賀市五幡付近の山坂。「いつ、はた(また)」を掛けています。別れに際して、直接に惜別の語を使わず、婉曲に別れの嘆きをうたっています。なお、これらの歌の前に田辺福麻呂久米広縄の歌が載っています。

田辺福麻呂の歌
〈4052〉霍公鳥(ほととぎす)今鳴かずして明日(あす)越えむ山に鳴くとも験(しるし)あらめやも
 ・・・ホトトギスよ、今鳴かないで、明日私が越えていく山で鳴いても、何の甲斐があるだろうか。

久米広縄の歌
〈4053〉木(こ)の暗(くれ)になりぬるものを霍公鳥(ほととぎす)何か来鳴かぬ君に逢へる時
 ・・・木がこんもりと茂る季節になったというのに、ホトトギスよ、どうして来て鳴いてくれないのか。めったに逢えないお方と逢っているこの時に。