大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

隠りのみ恋ふれば苦し・・・巻第10-1990~1992

訓読 >>>

1990
我(わ)れこそば憎くもあらめ我(わ)がやどの花橘(はなたちばな)を見には来(こ)じとや

1991
霍公鳥(ほととぎす)来鳴(きな)き響(とよ)もす岡辺(をかへ)なる藤波(ふぢなみ)見には君は来(こ)じとや

1992
隠(こも)りのみ恋ふれば苦しなでしこの花に咲き出(で)よ朝(あさ)な朝(さ)な見む

 

要旨 >>>

〈1990〉この私こそが憎いとお思いでしょうが、だからといって、我が家の庭の橘の花さえ見にいらっしゃらないというのですか。

〈1991〉ホトトギスが来て鳴き立てている、その岡の辺に咲いている藤の花を見には、あなたはいらっしゃらないおつもりですか。

〈1992〉人目を忍んで心ひそかに恋続けるのはつらいものです。せめて、なでしこの花になって我が家の庭に咲き出てください。そうすれば朝ごとに見ることができますのに。

 

鑑賞 >>>

 「花に寄せる」歌。1990・1991は、足を遠くしている夫に妻が贈った歌。1990の「やど」は、家の敷地、庭先。1991の「藤波」は、藤の花房が風に揺れるさまを波に喩えた語。1992の「隠りのみ」は、秘密にばかりして。上掲の解釈は女の歌としましたが、男の立場から、関係を結んでいる女がいつまでも母に秘密にしているのに気を揉み、なでしこの花のように咲き出て母に打ち明けよ、そうして毎朝見るように逢おう、と命じたものとする解釈もあります。「隠る」は、内に含まれている、物陰にひそむ、外から見えない状態。撫子の花は朝に咲きます。

 

 

ナデシコ

ナデシコ科の多年草一年草も)で、秋の七草の一つで、夏にピンク色の可憐な花を咲かせ、我が子を撫でるように可愛らしい花であるところから「撫子(撫でし子)」の文字が当てられています。数多くの種類があり、ヒメハマナデシコとシナノナデシコは日本固有種です。

 

※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について