大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

大夫は御猟に立たし・・・巻第6-1001

訓読 >>>

大夫(ますらを)は御猟(みかり)に立たし娘子(をとめ)らは赤裳(あかも)裾(すそ)引く清き浜廻(はまび)を

 

要旨 >>>

廷臣たちは狩をしにお発ちになり、官女らは赤い着物の裾を引きながら、きれいな浜で海の物を求めている。

 

鑑賞 >>>

 山部赤人が、天平6年(734年)春の3月、聖武天皇の難波行幸に際し詠んだ歌。「大夫」は、供奉の廷臣を尊んでの称。「御猟」は、天皇の御猟であるため尊んで言ったもの。「立たし」は「立つ」の敬語。「娘子ら」は、女官ら。「浜廻」は、浜辺。行幸に供奉していた男女が、楽しく長閑に過ごしている風景を、眼前の女官たちを主にして歌っています。窪田空穂は、「『赤裳裾引く清き浜廻を』に感性の冴えが見え、それがおのずから賀の心をあらわしていると言える。間接ながら個性の際やかに現われた歌である」と評しています。

 なお、同じく従駕した人たちによる歌が、997~1000・1002に載っています。

作者未詳
〈997〉住吉(すみのえ)の粉浜(こはま)のしじみ開けも見ず隠(こも)りてのみや恋ひわたりなむ
 ・・・住吉の粉浜のしじみが殻を閉じているように、私は思いをを打ち明けることもせず、じっと胸中に秘めたまま恋い続けることだろうか。

船王(ふねのおおきみ)
〈998〉眉(まよ)のごと雲居(くもゐ)に見ゆる阿波(あは)の山かけて漕ぐ舟 泊(とま)り知らずも
 ・・・長い眉のように、はるか雲の向こうに横たわる阿波の山々。そこに向かって漕いでいく舟は、今夜はどこに泊まるのか分からないけれども。

守部王(もりべのおおきみ)
〈999〉千沼廻(ちぬみ)より雨ぞ降り来(く)る四極(しはつ)の海人(あま)網手(つなで)乾(ほ)したり濡(ぬ)れあへむかも
 ・・・茅渟の浜あたりから雨が降ってくる。ここ四極の漁夫が網は干したままだ。濡れても構わないのだろうか。

〈1000〉児(こ)らしあらば二人(ふたり)聞かむを沖つ渚(す)に鳴くなる鶴(たづ)の暁(あかとき)の声
 ・・・ここにあの子がいたら、二人して聞くことができように。沖の浅瀬で鳴く鶴の明け方の声を。

安部朝臣豊継(あべのあそみとよつぐ)
〈1002〉馬の歩(あゆ)み押さへ留(とど)めよ住吉(すみのえ)の岸の黄土(はにゅう)ににほひて行かむ
 ・・・馬の歩みを抑えて止めなさい。ここ住吉の岸の美しい埴生に存分に染まっていこうではないか。