大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

防人の歌(27)・・・巻第20-4391~4392

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4391
国々の社(やしろ)の神に幣(ぬさ)奉(まつ)り贖乞(あがこひ)すなむ妹(いも)が愛(かな)しさ

4392
天地(あめつし)のいづれの神を祈らばか愛(うつく)し母にまた言(こと)問はむ

 

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〈4391〉国々の社の神々に幣を捧げて、私の旅の無事を祈っているだろう妻が愛しい。

〈4392〉天の神、地の神のどの神様にお祈りしたら、愛しい母とまた話ができるようになるのだろうか。

 

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 下総国の防人の歌。4391の「幣」は、神に祈る際に捧げるもの。「贖乞すなむ」の原文「阿加古比須奈牟」で語義未詳ながら、①「贖乞」だとして、災難を逃れるために物を捧げて祈る意、②「我が恋」だとして、私が恋しく思っている意、と解する説があります。「すなむ」は「すらむ」の転。4392の「天地(あめつし)」は「あめつち」の転。

 

東歌(35)・・・巻第14-3529

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等夜(とや)の野に兎(をさぎ)狙(ねら)はりをさをさも寝なへ児(こ)ゆゑに母にころはえ

 

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等夜(とや)の野に兎を狙っているわけではないが、ろくすっぽ寝てもいないあの子なのに、母親にこっぴどく叱られてしまった。

 

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 「等夜の野」は、所在未詳。「等夜の野に兎ねらはり」は「をさをさ」を導く序詞。「兎(をさぎ)」は、兎の東語。娘に近づく機会を狙っているのを、兎を狙うことに喩えています。「をさをさ」は下に打消の語をともなう副詞で、ほとんどの意。「寝なへ」は、東語の打消しの助動詞「なふ」が更に訛ったもの。「ころはえ」は、大声で叱られる。兎は狩りなどでも身近な動物だったはずですが、『万葉集』で兎を詠んでいるのはこの1首のみです。

 

【為ご参考】賀茂真淵の『万葉考』

 江戸時代中期の国学者歌人である賀茂真淵(1697~1769年)の著書には多くの歌論書があり、その筆頭が、万葉集の注釈書『万葉考』です。全20巻からなり、真淵が執筆したのは、『万葉集』の巻1、巻2、巻13、巻11、巻12、巻14についてであり、それらの巻を『万葉集』の原型と考えました。また、その総論である「万葉集大考」で、歌風の変遷、歌の調べ、主要歌人について論じています。

 真淵の『万葉集』への傾倒は、歌の本質は「まこと」「自然」であり「端的」なところにあるのであって、偽りやこまごまとした技巧のようなわずらわしいところにはないとの考えが柱にあり、そうした実例が『万葉集』や『古事記』『日本書紀』などの歌謡にあるという見解から始まります。総論の「万葉集大考」には以下のように書かれています。「古い世の歌というものは、古いそれぞれの世の人々の心の表現である。これらの歌は、古事記日本書紀などに二百あまり、万葉集に四千あまりの数があるが、言葉は、風雅であった古(いにしえ)の言葉であり、心は素直で他念のない心である」。

 さらに、若い時に『古今集』や『源氏物語』などの解釈をしてきた自身を振り返り、「これら平安京の御代は、栄えていた昔の御代には及ばないものだとわかった今、もっぱら万葉こそこの世に生きよと願って、万葉の解釈をし、この『万葉考』を著した」と記しています。そして「古の世の歌は人の真心なり。後の世の歌は人の作為である」とし、万葉の調べをたたえ、万葉主義を主張して、以後の『万葉集』研究に大きな影響を与えました。

 

宴席の歌(7)・・・巻第18-4066~4069

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4066
卯(う)の花の咲く月立ちぬ霍公鳥(ほととぎす)来(き)鳴き響(とよ)めよ含(ふふ)みたりとも

4067
二上(ふたがみ)の山に隠(こも)れる霍公鳥(ほととぎす)今も鳴かぬか君に聞かせむ

4068
居(を)り明かしも今夜(こよひ)は飲まむほととぎす明けむ朝(あした)は鳴き渡らむそ

4069
明日(あす)よりは継ぎて聞こえむほととぎす一夜(ひとよ)のからに恋ひ渡るかも

 

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〈4066〉卯の花が咲く月がやってきた。ホトトギスよ、やって来て鳴き立てておくれ、花はまだ蕾みであっても。

〈4067〉二上山にこもっているホトトギスよ。今こそ鳴いてくれないか。わが君にお聞かせしたいから。

〈4068〉このまま夜明かししてでも今夜は飲んでいよう。ホトトギスは、夜が明けた朝にはきっと鳴き声を立てて飛んで来るに違いない。

〈4069〉明日からはひっきりなしに聞こえるはずのホトトギスを、たった一晩鳴かないだけでこんなに焦がれていることだ。

 

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 天平20年(748年)4月1日、掾(じょう)米朝臣広縄(くめのあそみひろなわ)の館で酒宴を催したときの歌。「掾」は国司の三等官。4066・4068が大伴家持の歌、4067が宴に同席した遊行女婦の土師(はにし)の歌、4069が同じく羽咋郡(はくいのこおり)の擬主帳(ぎしゅちょう)能登臣乙美(のとのおみおとみ)の歌です。「擬主帳」は、郡司の四等官の主張(本官)に準じる役で、帳簿や文書を司る役目。

 4066の「含みたりとも」は、花はつぼんでいようとも。4067の「二上の山」は富山県高岡市の北方にある山。4068の「居り明かしも」は、起きていて夜を明かしても、徹夜しても。4069の「継ぎて」は、続けて。「からに」は、ために。宴歌の題材として、ホトトギスの鳴き声がいかに興を添えるものであったかが窺える歌です。

 

恋ひ死なむ後は何せむ・・・巻第4-559~562

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559
事もなく生き来(こ)しものを老いなみにかかる恋にも我(あ)れは逢へるかも

560
恋ひ死なむ後(のち)は何せむ生ける日のためこそ妹(いも)を見まく欲(ほ)りすれ

561
思はぬを思ふと言はば大野なる御笠(みかさ)の(もり)杜の神し知らさむ

562
暇(いとま)なく人の眉根(まよね)をいたづらに掻(か)かしめつつも逢はぬ妹(いも)かも

 

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〈559〉これまで何事もなく生きてきたのに、しだいに老いる頃に、何とまあ、こんな苦しい恋に出会ってしまいました。

〈560〉恋い焦がれて死んでしまったら何の意味もありません。生き長らえている今日の日のために、あなたの顔を見たいと思うのに。

〈561〉あなたのことを思ってもいないのに、恋い焦がれているなどと言ったら、大野の御笠にある神社の神様がお見通しで、私は罰を下されるでしょう。

〈562〉しきりに人の眉を掻かせておきながら、なかなか逢ってくれようとしないあなたです。

 

鑑賞 >>>

 題詞に「恋の歌4首」とある、大伴百代(おおとものももよ)の歌。大伴百代は 、天平初期に大宰大監(だざいのだいげん:大宰府の3等官の上位)をつとめ、その後帰京し、兵部少輔、美作守(みまさかのかみ)を経て、天平15年に筑紫鎮西府副将軍、のち豊前守(ぶぜんのかみ)となりました。大伴旅人家持父子とも親交があり、大宰府在任中に大伴旅人邸で開かれた梅花宴に出席し、歌を詠んでいます(巻第5-823)。『万葉集』には7首の歌を残しています。

 ちなみに、大宰府の官職には、長官である帥(そち)の下に、権帥(ごんのそち)・大弐(だいに)・少弐(しょうに)・大監(だいげん)・少監(しょうげん)・大典(だいてん)・少典(しょうてん)以下があり、別に祭祀を担う主神(かんづかさ)がありました。

 559の「老いなみに」は、しだいに老いる頃に。561の「大野なる御笠の杜」は『日本書紀』にも登場する、福岡県大野城市山田の社。562は、眉がかゆくなると好きな人に逢える前兆という、当時のおまじないを踏まえています。歌を贈った相手は、当時、兄の旅人に伴われて大宰府にいた大伴坂上郎女で、これに答えた坂上郎女の歌が563・564に載っています。宴席での歌のやり取りだったとみられます。坂上郎女はこのころ30代半ばで、恋多き女だった女盛りの郎女に、百代は心を奪われてしまったのかもしれません。

 なお、なぜ眉がかゆくなると恋人に逢える前兆とされたのかは、中国古典の恋愛文学『遊仙窟』に「昨夜根眼皮瞤 今朝見好人(昨夜、目の上がかゆかった、すると今朝あの人に会えた」という一文があり、その影響ではないかといわれます。

 

虎に乗り古屋を越えて・・・巻第16-3833

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虎(とら)に乗り古屋(ふるや)を越えて青淵(あをふち)に蛟龍(みつち)捕(と)り来(こ)む剣太刀(つるぎたち)もが

 

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虎に乗って古屋を飛び越えて、青淵に棲む蛟龍(みづち)を生け捕りできる、そんな剣太刀がほしいものよ。

 

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 境部王(さかいべのおおきみ)が数種の物を詠んだ歌。境部王は穂積親王の子とあります。どうやら恐ろしいものを取り合わせた歌のようですが、「虎」は日本にはいませんから、大陸伝来の絵図などから想像したのでしょう。古屋がなぜ恐ろしいのか疑問に思いますが、昔は、人が住まない古屋や廃屋には鬼が住むとして忌避され、「虎や狼より古屋の雨漏りのほうが怖い」という諺もあったほどです。虎も古屋の雨漏りを恐れるとされていたようです。「青淵」は深く水をたたえて青く見える淵。「蛟龍」は、水の霊で竜に似た想像上の動物。「蛟」は蛇に似て4本足だといいます。

 

当ブログ制作にあたっての参考文献

NHK日めくり万葉集』~講談社
『NHK100分de名著ブックス万葉集』~佐佐木幸綱/NHK出版
大伴家持』~藤井一二/中公新書
『古代史で楽しむ万葉集』~中西進/KADOKAWA
『誤読された万葉集』~古橋信孝/新潮社
『新版 万葉集(一~四)』~伊藤博/KADOKAWA
田辺聖子の万葉散歩』~田辺聖子/中央公論新社
超訳 万葉集』~植田裕子/三交社
『日本の古典を読む 万葉集』~小島憲之/小学館
『ねずさんの奇跡の国 日本がわかる万葉集』~小名木善行/徳間書店
『万葉秀歌』~斎藤茂吉/岩波書店
『万葉秀歌鑑賞』~山本憲吉/飯塚書店
万葉集講義』~上野誠/中央公論新社
万葉集と日本の夜明け』~半藤一利/PHP研究所
萬葉集に歴史を読む』~森浩一/筑摩書房
万葉集のこころ 日本語のこころ』~渡部昇一/ワック
万葉集の詩性』~中西進/KADOKAWA
万葉集評釈』~窪田空穂/東京堂出版
『万葉樵話』~多田一臣/筑摩書房
『万葉の旅人』~清原和義/学生社
『万葉ポピュリズムを斬る』~品田悦一/講談社
『私の万葉集(一~五)』~大岡信/講談社

恋の奴がつかみかかりて・・・巻第16-3816

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家に有る櫃(ひつ)に鏁(かぎ)刺し収(おさ)めてし恋の奴(やつこ)がつかみかかりて

 

要旨 >>>

家にある櫃に鍵をかけ、しまい込んでいたはずの、あの面倒な恋の奴めがつかみかかって来て。

 

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 穂積皇子(ほづみのみこ)の歌。左注に、宴会が盛り上がってきたときに、好んでこの歌を詠み、お定まりの座興となさった、とあります。一説によれば、穂積皇子は「つかみかかりて」と歌いながら、宴席に侍って酒を勧める女性に不意に抱きついて驚かせ、場の座興にしていたのだろうとも言われています。「櫃」は、蓋のついている木箱。「恋の奴」の「奴」は賤民身分の男の使用人のことで、ここでは自分を苦しめる「恋」を擬人化しています。当時かなり流行った言葉らしく、幾つかの歌にも用いられています。穂積皇子は、若いころの但馬皇女(たじまのひめみこ)との恋愛で有名な人ですが、不幸にみちた愛への懊悩からか、その後の皇子は恋をすることはなかったといいます。初老のころに若い坂上郎女をめとりますが、寵愛こそすれ、恋はしなかったのかもしれません。

 この歌を宴会で必ずうたっていたということは、自作の歌ではなく、当時流行っていた歌だったのかもしれません。