大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

霍公鳥、独り生まれて・・・巻第9-1755~1756

訓読 >>>

1755
鴬(うぐひす)の 卵(かひご)の中に 霍公鳥(ほととぎす) 独り生れて 己(な)が父に 似ては鳴かず 己(な)が母に 似ては鳴かず 卯の花の 咲きたる野辺(のへ)ゆ 飛び翔(かけ)り 来鳴(きな)き響(とよ)もし 橘の 花を居(ゐ)散らし ひねもすに 鳴けど聞きよし 賄(まひ)はせむ 遠くな行きそ 我(わ)が宿(やど)の 花橘に 住みわたれ鳥

1756
かき霧(き)らし雨の降る夜(よ)をほととぎす鳴きて行くなりあはれその鳥

 

要旨 >>>

〈1755〉うぐいすの卵に交じり、ホトトギスよ、お前は独り生まれて、お前の父に似た鳴き声で鳴かず、お前の母に似た鳴き声でも鳴かない。卯の花の咲いた野辺を飛びかけっては、辺りを響かせて鳴き、橘の花にとまって花を散らし、一日中聞いていても聞き飽きないよい声だ。褒美をやろう、だから何処へも行くな。私の庭の花橘の枝にずっと住み続けておくれ、この鳥よ。

〈1756〉曇ってきて雨が降る夜空を、ホトトギスの鳴きながら遠ざかっていく。ああ、孤独な鳥だ。

 

鑑賞 >>>

 高橋虫麻呂が、ホトトギスを詠んだ長歌と短歌です。ホトトギスは、初夏に渡来し、秋、南方に去っていく渡り鳥です。親鳥は巣を作らず、ウグイスなど他の鳥の巣に卵を生んで世話を託します。長歌では、そんな習性のあるホトトギスを明るく詠んでいます。卯の花も橘の花も、ホトトギスと取り合わせの景物とされていました。「野辺ゆ」の「ゆ」は、~を通って。「ひねもす」は、一日中。「賄」は、褒美、贈り物。「遠くな行きそ」の「な~そ」は、禁止。「宿」は、家の敷地、庭先。「住みわたれ」は、ずっと住み続けてくれ。

 1756の反歌では打って変わって、雨夜のホトトギスのしっとりとした情緒をうたっています。「かき霧らし」の「かき」は、接頭語。「霧らし」は、霧が覆って。「行くなり」の「なり」は、詠嘆。「あはれ」は、感動詞。作家の田辺聖子は、「あはれその鳥」の口吻は、現代語にはちょっと訳しようがないとして、古今調をとびこして、むしろ式子(しきし)内親王の「新古今ぶり」を思い出させる雰囲気を持つ、と言っています。

 ホトトギスの母鳥は、ウグイスの巣に卵を1個だけ産みこみ、その卵は約10日で孵化し、生まれた雛は、まだ孵化していないほかの卵を背中に一つずつ乗せて、巣の外に放り出してしまいます。そうして巣内を独占し、仮親の世話を自分だけのものにして育つのです。人道というか、鳥道に外れているホトトギスの習性ですが、虫麻呂はそういうホトトギスの生き方をむしろ深刻に捉えています。生まれた時に親を知らない、そしてあちらこちらへと旅を続ける、こんなかわいそうな鳥があるだろうか、と。それは、天涯孤独の鳥ということであり、言っていることはホトトギスのことではありますが、放浪する人間、あるいは自身の姿をそれになぞらえているようでもあります。

 なお、ホトトギスの鳴き声の動画がYouTubeにありましたので、こちらに貼っておきます。

youtu.be

 

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霍公鳥の故事

 霍公鳥(ホトトギス)は、特徴的な鳴き声と、ウグイスなどに托卵する習性で知られる鳥で、『万葉集』には153首も詠まれています(うち大伴家持が65首)。霍公鳥には「杜宇」「蜀魂」「不如帰」などの異名がありますが、これらは中国の故事や伝説にもとづきます。

 ―― 長江流域に蜀(古蜀)という貧しい国があり、そこに杜宇(とう)という男が現れ、農耕を指導して蜀を再興、やがて帝王となり「望帝」と呼ばれた。後に、長江の治水に長けた男に帝位を譲り、自分は山中に隠棲した。杜宇が亡くなると、その霊魂はホトトギスに化身し、農耕を始める季節が来ると、鋭く鳴いて民に告げた。また後に蜀が秦によって滅ぼされてしまったことを知った杜宇の化身のホトトギスは、ひどく嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰り去くに如かず。= 帰りたい)と鳴きながら血を吐くまで鳴いた。ホトトギスの口の中が赤いのはそのためだ、と言われるようになった。――

『万葉集』の時代背景