大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

橘のにほへる香かも・・・巻第17-3916~3921

訓読 >>>

3916
橘(たちばな)のにほへる香(か)かも霍公鳥(ほととぎす)鳴く夜(よ)の雨にうつろひぬらむ

3917
霍公鳥(ほととぎす)夜声(よごゑ)なつかし網(あみ)ささば花は過ぐとも離(か)れずか鳴かむ

3918
橘(たちばな)のにほへる園(その)に霍公鳥(ほととぎす)鳴くと人(ひと)告(つ)ぐ網(あみ)ささましを

3919
あをによし奈良の都は古(ふ)りぬれどもと霍公鳥(ほととぎす)鳴かずあらなくに

3920
鶉(うづら)鳴く古(ふる)しと人は思へれど花橘(はなたちばな)のにほふこの宿(やど)

3921
杜若(かきつばた)衣(きぬ)に摺(す)り付け大夫(ますらを)の着襲(きそ)ひ狩(かり)する月は来(き)にけり

 

要旨 >>>

〈3916〉橘の花のかぐわしい香りは、ホトトギスが鳴く今夜の雨で消え失せてしまっただろうか。

〈3917〉ホトトギスの夜鳴く声が慕わしい。網を張って捕らえたなら、花は散っても絶えずそこで鳴いてくれるだろうか。

〈3918〉橘の花が美しく咲いている庭に、ホトトギスが鳴いていると人が言う。網を張って捕らえようものを。

〈3919〉美しい奈良の都は旧都となってしまったけれど、昔なじみのホトトギスは鳴かずにいることだ。

〈3920〉鶉が鳴いて古びていると人は思うだろうけれど、橘の花が今も咲き匂っている我が家よ。

〈3921〉かきつばたを衣に摺って摺衣にし、着飾った男子が猟に出かける月がやってきたことだ。

 

鑑賞 >>>

 天平16年(744年)4月5日、大伴家持が、独り奈良の旧宅にいて詠んだ歌6首。この年の2月に恭仁京の高御座や大楯が難波宮に遷され、その頃は天皇は近江の紫香楽宮行幸し、内舎人の家持もそれに加わるべきところ、何らかの事情で奈良の旧宅にあってこの歌を詠んだものとみえます。2か月前に亡くなった安積皇子の喪に服していたのかもしれません。

 3916の「にほへる」は、もっぱら視覚について用いられますが、ここでは辺りに漂う橘の花の香りを表現しています。「かも」は、疑問。「うつろふ」は、衰える。3917の「なつかし」は、慕わしい、心惹かれる。「離る」は、絶える。3918の「網ささましを」の「ましを」は、反実仮想。3919の「あをによし」は「奈良」の枕詞。「もと霍公鳥」は、以前から来ている馴染みのホトトギス。3920の「鶉鳴く」は「古し」の枕詞。3921の「狩する月」は、薬狩りを行う5月。

 なお、この年の天平17年(745年)正月7日の人事で、家持は正六位上から従五位下へ昇進しました。「官位令」によれば、従五位下は上国守・七省少輔・侍従・少納言などに相当します。また、一族のうち、大伴牛養従三位に昇進しています。また、この年の5月には、聖武天皇が奈良に行幸(還御)し、平城京が再び都とされました。