訓読 >>>
もののふの石瀬(いはせ)の社(もり)の霍公鳥(ほととぎす)今も鳴かぬか山の常蔭(とかげ)に
要旨 >>>
石瀬の社にいるホトトギスよ、今こそ鳴いてくれないか、この山の陰で。
鑑賞 >>>
刀理宣令(とりのせんりょう)の歌。刀理宣令は渡来系の人とされ、養老5年(721年)従七位下、山上憶良らと東宮(後の聖武天皇)に侍し、正六位上、59歳で没。『万葉集』には2首、『懐風藻』に2首の詩が載っています。「もののふの」は、朝廷に仕える部族が多い意で「八十」と続くのと同じ意で、五十の「い」、すなわち「石瀬」にかかる枕詞。「石瀬の社」は未詳ながら、奈良県斑鳩町または三郷町という説があります。「今も鳴かぬか」の「ぬか」は、希求の意。ただし、原文「今毛鳴奴」に「か」に当たる文字がないため、「今しも鳴きぬ」と訓むものもあります。ここは、もともと「奴可」とあったのが「可」の脱落したものと見ています。「常陰」は、いつも日が射さない所の意ですが、他には用例がない語です。
霍公鳥の故事
霍公鳥(ホトトギス)は、特徴的な鳴き声と、ウグイスなどに托卵する習性で知られる鳥で、『万葉集』には153首も詠まれています(うち大伴家持が65首)。霍公鳥には「杜宇」「蜀魂」「不如帰」などの異名がありますが、これらは中国の故事や伝説にもとづきます。
―― 長江流域に蜀(古蜀)という貧しい国があり、そこに杜宇(とう)という男が現れ、農耕を指導して蜀を再興、やがて帝王となり「望帝」と呼ばれた。後に、長江の治水に長けた男に帝位を譲り、自分は山中に隠棲した。杜宇が亡くなると、その霊魂はホトトギスに化身し、農耕を始める季節が来ると、鋭く鳴いて民に告げた。また後に蜀が秦によって滅ぼされてしまったことを知った杜宇の化身のホトトギスは、ひどく嘆き悲しみ、「不如帰去」(帰り去くに如かず。= 帰りたい)と鳴きながら血を吐くまで鳴いた。ホトトギスの口の中が赤いのはそのためだ、と言われるようになった。――