大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

雨も降らぬか・・・巻第18-4122~4124

訓読 >>>

4122
天皇(すめろき)の 敷きます国の 天(あめ)の下(した) 四方(よも)の道には 馬の爪(つめ) い尽(つく)す極(きは)み 舟舳(ふなのへ)の い泊(は)つるまでに 古(いにしへ)よ 今の現(をつつ)に 万調(よろづつき) 奉(まつ)るつかさと 作りたる その生業(なりはひ)を 雨降らず 日の重なれば 植ゑし田も 蒔(ま)きし畑(はたけ)も 朝ごとに 凋(しぼ)み枯れ行く そを見れば 心を痛み みどり子の 乳(ち)乞(こ)ふがごとく 天(あま)つ水 仰(あふ)ぎてぞ待つ あしひきの 山のたをりに この見ゆる 天(あま)の白雲(しらくも) 海神(わたつみ)の 沖つ宮辺(みやへ)に 立ち渡り との曇(ぐも)りあひて 雨も賜(たま)はね

4123
この見ゆる雲(くも)ほびこりてとの曇(ぐも)り雨も降らぬか心(こころ)足(だ)らひに

4124
我が欲(ほ)りし雨は降り来(き)ぬかくしあらば言挙(ことあ)げせずとも年は栄(さか)えむ

 

要旨 >>>

〈4122〉天皇のお治めになるこの国の、天下の四方に広がる道は、馬の蹄がすり減ってなくなる地の果てまでも、海上では舟の舳先が行き着く最後の港までも、古から今現在に至るまで、ありとあらゆる貢ぎ物の第一のものとして作っている農作物であるのに、雨が降らない日が続き、苗を植えた田も、種を蒔いた畑も、日ごとに凋んで枯れてゆく。それを見ると心が痛み、赤子が乳を求めるように、天を仰いで雨を待っている。今、山あいに見える白雲よ、海神が治めたまう海の沖の方まで伸びて広がって行き、どうか雨を賜らせてください。

〈4123〉あの見えている雲が広がって、空一面にかき曇り、雨が降ってくれないだろうか、心ゆくまで。

〈4124〉我らが待ち望んだ雨はとうとう降ってきてくれた。これなら仰々しく言い立てなくとも、今年も五穀の実りは豊かになろう。

 

鑑賞 >>>

 大伴家持越中国守だった時の歌です。4122・4123は、題詞に「天平感宝元年(749年)閏5月6日以来、干ばつが続き、百姓の田畑は次第に凋んできた。6月1日になってたちまちに雨雲が現れた。そこで作った歌」とあり、国守の立場から、神に雨を祈った歌、4124は、ようやく雨が降って喜び、6月1日の夕方に作った歌です。

 4122の「万調」は、あらゆる調、貢物。「つかさ」は最上の物。「生業」は、ここでは農業による農作物。「天つ水」は雨。「あしひきの」は「山」の枕詞。「たをり」は、山の窪んでたわんだようになっている所。「沖つ宮辺」は竜神の宮。4123の「ほびこりて」は、広がって。「雨も降らぬか」の「も~ぬか」は願望。4124の「言挙げ」は、言葉に出して言うこと。

 なお、4123の反歌について斎藤茂吉は、「一首は大きく揺らぐ波動的声調を持ち、また海神にも迫るほどの強さがあって、家持の人麻呂から学んだ結果は、期せずしてこの辺にあらわれている」と言っています。