訓読 >>>
910
神(かむ)からか見が欲しからむみ吉野の滝の河内(かふち)は見れど飽かぬかも
911
み吉野の秋津(あきづ)の川の万代(よろづよ)に絶ゆることなくまたかへり見む
912
泊瀬女(はつせめ)の造る木綿花(ゆふばな)み吉野の滝の水沫(みなわ)に咲きにけらずや
要旨 >>>
〈910〉この地の神様のゆえか、見たいと思う美しい吉野の滝の流れは飽きることがない。
〈911〉美しい吉野の秋津川を、これからずっと絶えることなくまたやって来て眺めたい。
〈912〉泊瀬女(はつせめ)の造った木綿花が 吉野の川面に咲いているよ。
鑑賞 >>>
養老7年(723年)夏の5月、元正天皇が吉野の離宮に行幸あったとき、従駕の笠金村が作った歌。題詞に、907の長歌の反歌として「或本の反歌に曰く」とあり、或本には反歌が全部異なっているため、それを挙げているというものです。910の「河内」は、川を中心として山に囲まれた場所。912の「泊瀬女」は、泊瀬地方に住む女のこと。「木綿花」は、木綿の造花。「水沫」は、水の泡。
笠金村は奈良時代中期の歌人で、身分の低い役人だったようです。『万葉集』に45首を残し、そのうち作歌の年次がわかるものは、715年の志貴皇子に対する挽歌から、733年のの「贈入唐使歌」までの前後19年にわたります。とくに巻6は天武天皇朝を神代と詠う笠金村の歌を冒頭に据えています。自身の作品を集めたと思われる『笠朝臣金村歌集』の名が『万葉集』中に見えます。