大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

聖武天皇の吉野行幸の折、笠金村が作った歌・・・巻第6-920~922

訓読 >>>

920
あしひきの み山もさやに 落ち激(たぎ)つ 吉野の川の 川の瀬の 清きを見れば 上辺(かみへ)には 千鳥しば鳴く 下辺(しもへ)には かはづ妻呼ぶ ももしきの 大宮人(おおみやひと)も をちこちに 繁(しじ)にしあれば 見るごとに あやにともしみ 玉かづら 絶ゆることなく 万代(よろづよ)に かくしもがもと 天地(あめつち)の 神をそ祈る 畏(かしこ)くあれども

921
万代(よろづよ)に見とも飽(あ)かめやみ吉野の激(たぎ)つ河内(かふち)の大宮所(おおみやところ)

922
皆人(みなひと)の命も我(わ)がもみ吉野の滝の常磐(ときは)の常(つね)ならぬかも

 

要旨 >>>

〈920〉山も清々しく、激しく流れ落ちる、その吉野の川の川瀬の清らかなありさまを見ると、上流には千鳥がしきりに鳴き、下流にはカジカガエルが妻を呼んで盛んに鳴いている。随行してきた大宮人もあちこちに大勢往来している。こうした光景を見るたび、まことにすばらしく思われて、絶えることなく万代までもこうあってほしいと、天地の神々にお祈りを捧げる、恐れ多いことであるけれども。

〈921〉いつまで見続けていても見飽きることがない。吉野川のたぎりたつ河内の、この大宮所は。

〈922〉ここにいる皆々方の命も、私の命も、ここ吉野の滝の常盤ように未来永劫に不変であってくれないものか。

 

鑑賞 >>>

 神亀2年(725年)の夏の5月、聖武天皇が吉野の離宮行幸あったとき、従駕の笠金村(かさのかなむら)が作った歌。920の「あしひきの」「ももしきの」「玉かづら」は、それぞれ「山」「大宮人」「絶ゆることなく」の枕詞。「あやに」は、無性に、不思議に。「ともしみ」は、珍しく、うらやましく、心惹かれて。「かくしもがも」は、このようにありたい。921の「大宮所」は、皇居のある所。922の「常盤」は、常に変わらない岩。

 笠金村奈良時代中期の歌人で、身分の低い役人だったようです。『万葉集』に45首を残し、そのうち作歌の年次がわかるものは、715年の志貴皇子に対する挽歌から、733年のの「贈入唐使歌」までの前後19年にわたります。自身の作品を集めたと思われる『笠朝臣金村歌集』の名が『万葉集』中に見えます。