大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

隼人の薩摩の瀬戸を・・・巻第3-248

訓読 >>>

隼人(はやひと)の薩摩(さつま)の瀬戸を雲居(くもゐ)なす遠くも我(わ)れは今日(けふ)見つるかも

 

要旨 >>>

隼人の住む薩摩の瀬戸よ、その瀬戸を、空の彼方の雲のように遙か遠くだが、私は今この目に見納めた。

 

鑑賞 >>>

 長田王が筑紫に派遣され、薩摩国に赴いたときに作った歌。『万葉集』の歌のなかで、最も南の地で詠まれた歌とされ、船中にあって、海上遠く薩摩の瀬戸を眺望して詠んだ趣きです。当時の薩摩は、朝廷の影響力がなかなか及ばず、問題の多い所だったといいます。「隼人」は、大隅・薩摩地方の精悍な部族で、朝廷への敵対した後には、宮の守護や歌舞の演奏などをして仕えたといいます。「薩摩の瀬戸」は、鹿児島県阿久根市黒之浜と天草諸島の長島との間の海峡。

 なお、巻第1に、和銅5年(712年)4月に、長田王が伊勢の斎宮伊勢神宮)に遣わされたときに山辺御井で作ったとある81~83の歌のうち、左注に「山辺御井で作った歌には見えない」とある82・83の歌は、むしろこの歌と脈絡がつくものです。王が筑紫に派遣された理由が、もし、81の斎宮侵犯による、体のいい配流だったとすれば、歌に漂う寂寥とした空虚感も何となく理解できるところです。