大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

いつもいつも来ませわが背子・・・巻第4-490~491

訓読 >>>

490
真野(まの)の浦の淀(よど)の継橋(つぎはし)心ゆも思へや妹(いも)が夢(いめ)にし見ゆる

491
川の上(へ)のいつ藻(も)の花のいつもいつも来(き)ませわが背子(せこ)時じけめやも

 

要旨 >>>

〈490〉真野の浦の継橋のように、絶えず私を思ってくれているからだろうか、夢にあなたが現れるのは。

〈491〉川のほとりのいつ藻の花のように、いつもいつも来てください、あなた。私に都合が悪いなどということがあるものですか。

 

鑑賞 >>>

 題詞に「吹黄刀自(ふふきのとじ)が歌2首」とあるものの、490は男の歌で、491が刀自の答えた歌とされます。490の「真野の浦」は、神戸市長田区東池尻町と真野町の新湊川の河口あたりか。「淀」は、水の澱んでいる所。「継橋」は、水中に打った杭に板を継ぎ渡して作った橋。水量が増した時に取り外すようにしたものだろうといわれます。この時代の、相手を思えばその夢に自分の姿が見えるという俗信を踏まえた歌です。

 491の「いつ藻」の「いつ」は、賛美の接頭語。上2句が「いつも」を導く序詞。「時じく」は、その時ではない、の意。「めやも」は、反語。刀自の許に通ってこようとする男が、あらかじめ都合を尋ねてきたのに対し答えたもののようです。なお、この歌は巻第10-1931と重複しています。