大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

さざれ波浮きて流るる泊瀬川・・・巻第13-3225~3226

訓読 >>>

3225
天雲(あまくも)の 影さへ見ゆる 隠(こも)くりの 泊瀬(はつせ)の川は 浦なみか 舟の寄り来(こ)ぬ 磯(いそ)なみか 海人(あま)の釣(つり)せぬ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 磯はなくとも 沖つ波 競(きほ)ひ漕入(こぎ)り来(こ) 海人の釣船(つりぶね)

3226
さざれ波(なみ)浮きて流るる泊瀬川(はつせがわ)寄るべき磯のなきがさぶしさ

 

要旨 >>>

〈3225〉空に浮かぶ雲の影までくっきり映し出す泊瀬の川は、よい浦がないので舟が来ないのか、それともよい磯がないので海人が釣りをしないのか。たとえよい浦がなくてもかまわない、よい磯がなくてもかまわない。沖から寄せてくる波のように、競って漕いで来い、海人の釣船よ。

〈3226〉水面にさざ波を浮かべて流れる泊瀬川、そんな川なのに、舟を漕ぎ寄せて釣りをする磯のないのが寂しい。

 

鑑賞 >>>

 泊瀬川を海に見立ててほめている歌です。泊瀬川は、奈良県桜井市初瀬の北方の山中から三輪山の南を流れる川。3225の「隠(こも)りくの」の「く」は所の意で、泊瀬は山に囲まれた所であるところから「泊瀬」にかかる枕詞。「浦」は「磯」は本来は海に係る語ですが、海に接する機会の少ない大和の人々は、憧れの心から池や川を海に擬してこのような称を用いました。「よしゑやし~とも」は、たとえ~とも構わない。