大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

くはし妹に鮎を惜しみ・・・巻第13-3330~3332

訓読 >>>

3330
こもくりの 泊瀬(はつせ)の川の 上(かみ)つ瀬に 鵜(う)を八(や)つ潜(かづ)け 下(しも)つ瀬に 鵜を八つ潜け 上つ瀬の 鮎(あゆ)を食(く)はしめ 下つ瀬の 鮎を食はしめ くはし妹(いも)に 鮎を惜(を)しみ くはし妹に 鮎を惜しみ 投(な)ぐるさの 遠(とほ)ざかり居(ゐ)て 思ふ空 安けなくに 嘆く空 安けなくに 衣(きぬ)こそば それ破(や)れぬれば 継(つ)ぎつつも またも合(あ)ふといへ 玉こそば 緒(を)の絶えぬれば くくりつつ またも合ふといへ またも逢はぬものは 妻にしありけり

3331
こもくりの 泊瀬(はつせ)の山 青旗(あをはた)の 忍坂(おさか)の山は 走出(はしりで)の 宜(よろ)しき山の 出立(いでたち)の くはしき山ぞ あたらしき山の 荒れまく惜(を)しも

3332
高山(たかやま)と 海とこそば 山ながら かくも現(うつ)しく 海ながら しか真(まこと)ならめ 人は花物(はなもの)そ うつせみ世人(よひと)

 

要旨 >>>

〈3330〉泊瀬の川の上流に鵜を多く潜らせ、下流に鵜を多く潜らせ、上流の鮎を食わせ、下流の鮎を食わせておきながら、麗しい妻に、鮎が惜しいからと食わせず、美しかった妻に、鮎が惜しいからと食わせなかった挙句、その妻が、川に投げた矢のごとく遠ざかってしまった。その妻を思いやれば、とても心安かではいられず、嘆く心は苦しくてならない。衣ならば破れても継ぎ合わせてまた合わせられる、玉の紐なら切れてもくくり直せばまた合わせられるというのに、また逢うことのできないもの、それは、事もあろうに亡くなった妻であったよ。

〈3331〉泊瀬の山、忍坂の山は、裾の伸びた好ましい山。高くそびえる麗しい山。そんな惜しむべき山が荒れてゆくのが残念だ。

〈3332〉高い山と海こそは、山であるがゆえに確かに存在し、海であるがゆえにはっきりと存在しているのだろう。しかし、人は花のようにはかなく散る、いっときの世の人。

 

鑑賞 >>>

 亡くなった妻への挽歌。3330の「こもりくの」は「泊瀬」の枕詞。「泊瀬の川」は、桜井市初瀬の北方の山中に発し、三輪山をめぐって大和川に合流する川。「八つ」は、多くの意。「くはし妹」の「くはし」は、細部まで精妙で完全・完璧なさま。原文は「麗妹」となっており、『万葉集』では他に「妙」「細」の字があてられます。また、ここでは「食はし」と掛けています。「投ぐるさの」は「遠ざかり」の枕詞。「遠ざかり居て」は亡くなったことの意。「思ふ空」は、思う心。

 古代の漁法は、梁(やな)や網代あじろ)を使っていたことが窺えますが、この歌からは、鵜飼によって鮎を捕っていたことが分かります。また、記紀や『肥前国風土記』には、神功皇后が松浦の玉島の川で、着ていた喪の糸を抜いて釣り糸にし、飯粒を餌にして鮎を釣ったという話が載っています。ちなみに友釣りは江戸時代中期に始まったとされます。

 3331の「こもりくの」は「泊瀬」の枕詞。「泊瀬の山」は、桜井市初瀬周辺の山。「青旗の」は「忍坂」の枕詞。「忍坂の山」は、桜井市忍坂にある山。「走出の」は、横に突き出た。「出立の」は、高く突き出た。忍坂の葬地に人が訪れなくなった寂しさを惜しんでいます。「くはし」は、麗しい。

 3332の「山ながら」は、山であるがゆえに、山そのものとして。「かくも現しく」は、このように確かに存在し。「しか真ならめ」は、そのように真実なのだろう、いかにも海らしくある意。「うつせみの」は「世」の枕詞。「うつせみ」だけでこの世の人を示しますが、「世人」を重ねてその意味を強めています。人の世の無常を、確かな現実として存在し続ける山や海と対比して歌っており、同じく無常の対象としてしている「花」は桜でしょうか。仏典の影響を強く受けている歌です。

 ここの歌は、妻を失った泊瀬地方の漁師が、生前の妻にうまいものを食わせてやらなかったことを後悔して歌っている挽歌ですが、その技巧などから、相当な知識人が、漁民の立場になって創作したものとみられています。詩人の大岡信も、「万葉時代の詩人たちには、すでに十分、虚構による作品制作意識が浸透していたというふうに見てよいのではないかと思われる。その場合、長歌という形式は、知的な構成の必要があるので、その種の意欲を盛るには格好の場だっただろう」と述べています。