大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

汝が母を取らくを知らに・・・巻第13-3239

訓読 >>>

近江(あふみ)の海 泊(とま)り八十(やそ)あり 八十島(やそしま)の 島の崎々(さきざき) あり立てる 花橘(はなたちばな)を ほつ枝(え)に もち引き掛け 中つ枝(え)に 斑鳩(いかるが)懸け 下枝(しづえ)に 比米(ひめ)を懸け 汝(な)が母を 取らくを知らに 汝(な)が父を 取らくを知らに いそばひ居(を)るよ 斑鳩(いかるが)と比米(ひめ)と

 

要旨 >>>

近江の海には舟着き場がたくさんある。そのたくさんの島の岬々には花橘が茂り立ち、枝先には鳥もちを塗りつけ、中ほどの枝にはおとりの斑鳩を入れた籠を懸け、下の枝には同じく比米を懸け、自分の母が捕まると知らずに、自分の父が捕まると知らずに、遊び戯れているよ、斑鳩の子と比米とは。

 

鑑賞 >>>

 近江の海(琵琶湖)を周覧している人が、岬々で、渡り鳥の斑鳩と比米を捕るためにとりもちが塗られている仕掛けを見て、さらにおとりの鳥まで仕掛けられているのを見て詠んだ歌。おとりの鳥と捕ろうとする鳥との間に親子関係があるものと見て憐れんでいます。「泊まり」は港。「八十」は数の多いこと。「島の崎々」は、湖に突き出た所をこういったもの。「ほつ枝」は上の方の枝。「もち引き掛け」は、鳥を捕らえるためのもちを塗りつけ。「斑鳩」「比米」はスズメ目アトリ科の小鳥で渡り鳥。「いそばふ」の「い」は接頭語。遊び戯れる意。

 なお、この歌には寓意説があります。『萬葉集注釋』(澤瀉久孝)によれば、この歌は、大海人皇子(後の天武天皇)が近江宮を脱出して吉野に入った時、ライバルの大友皇子が大海人追討を謀っているとも知らず、大海人の子である高市皇子大津皇子が無心に遊んでいるのを見て、大海人びいきの臣下がこれを詠み、二人の皇子らに危険の迫っていることを知らせようとしたものだ、といいます。