大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

葦べ行く鴨の羽がひに・・・巻第1-64

訓読 >>>

葦(あし)べ行く鴨(かも)の羽(は)がひに霜(しも)降りて寒き夕べは大和し思ほゆ

 

要旨 >>>

葦が生い茂る水面を行く鴨の羽がいに霜が降っている。このような寒い夕暮れは、大和のことがしみじみ思い出される。

 

鑑賞 >>>

 志貴皇子の歌。慶雲3年(706年)に、文武天皇持統天皇の孫、軽皇子)に随行して、難波離宮へ旅した時に詠んだもの。難波宮は、天武天皇の御代に築かれた副都。難波は、古くは仁徳天皇、近くは孝徳天皇の都だった地であり、交通、対外関係において重要であると同時に、禊(みそ)ぎの地として信仰された所でもありました。そのため、天皇行幸も頻繁に行われました。皇子が訪れた時期は当時の暦で9月末から10月初め、晩秋から初冬にかけてのころにあたります。

 「葦辺」は、葦の生い繁っている水辺。難波の多く繁っている葦は、古来有名でした。「羽がひ」は、たたんだ翼が背で交わるところ。「大和し」の「し」は、強意の副助詞。「思ほゆ」は、思われる。供奉した皇子の居所は水辺に近かったとみえ、水辺を泳ぐ鴨の背の寒げに光ってるのを捉えて、旅愁を詠んだ歌です。

 志貴皇子の歌はつねに清冽な気品があり端正とされますが、この歌について斎藤茂吉は次のように評しています。「志貴皇子の御歌は、その他もそうであるが、歌調明快でありながら、感動が常識的粗雑に陥るということがない。この歌でも、鴨の羽交に霜が置くというのは現実の細かい写実といおうよりは、一つの『感』で運んでいるが、その『感』は空漠たるものでなしに、人間の観察が本となっている点に強みがある。そこで、『霜降りて』と断定した表現が利くのである。『葦べ行く』という句にしても稍ぼんやりしたところがあるけれども、それでも全体としての写像はただのぼんやりではない」