訓読 >>>
611
今更(いまさら)に妹(いも)に逢はめやと思へかもここだわが胸いぶせくあるらむ
612
なかなかに黙(もだ)もあらましを何すとか相(あひ)見そめけむ遂げざらまくに
要旨 >>>
〈611〉今はもう重ねてあなたに逢えないと思うからでしょうか、私の心がこんなに鬱々として沈むのは。
〈612〉いっそ声などかけないほうがよかったかもしれません。どうして逢瀬を始めたのか、初めから二人が結ばれることはあり得なかったのに。
鑑賞 >>>
大伴家持が笠郎女に贈った歌2首。611の「今更に」は、今は重ねて「思へかも」は、疑問的条件。思うからであろうか。「ここだ」は、甚だしく。「いぶせく」は、心が晴れない。612の「なかなかに」は、なまじっか、なまなかに、などと中途半端な状態を意味する副詞ですが、また、いっそのこと、と解される場合もあります。「黙」は、黙っていること。「何すとか」は、どうしようと思ってか。「遂げざらまくに」の「まく」は推量で、最後まで思いを遂げることはできないだろうに。
笠郎女に対する家持の返歌は、ここに掲げた、儀礼の範囲というか、意気の上がらない2首が残されているのみです。どうやら最初に声をかけたのは家持の方だったことが察せられます。しかし、彼女のあまりの熱情に、さすがのプレイボーイも気圧されてしまったのでしょうか、すべてを過去のこととしてしまい、あまつさえ612では、関係を持ってしまったことへの後悔の気持ちが見え隠れしています。
詩人の大岡信は、当時の日本の恋人たちは、男よりも女の方が格段に強い個性の持ち主に育っていくケースが多かったのではないかと言い、それは必ずしも幸福感をもたらすものではなく、むしろその逆であった、と。なぜなら、彼女らはしばしば「わが意に反して」強くなっていったからで、その原因は多くの場合、男が作っていた。笠郎女と家持の関係は、その典型的なものだっただろうと言っています。
一方、作家の大嶽洋子は次のように語っています。「(家持の)プレイボーイぶりにはいささか胸のもたれるような感もある。その上、今でいうオタクっぽいところがあったのだろうか、愛人たちとの相聞歌を後生大事に彼の文箱に保存していたということ。私はなんだか一昔前の文学青年のような、自分の心はすっかり冷めているのに、たまさか古い愛人の苦しい嘆きの歌を取り出して読みながら、その女人の愛の苦悩の表白に感動するというようなドン・ファンぶりが気に入らない」
しかしながら、家持のプレイボーイぶりはともかく、実際に郎女からの贈歌に対する家持の答えた歌がここの2首しか無かったとは考えられません。折々に相聞往来した歌々から、敢えて女性の側からの歌だけを一括してまとめているのであり、それは、現実に贈答された歌であるのを捨て去ることによって、一人の女性の恋の様相を殊更に浮き彫りにしようとする意図によるものと察せられます。一まとめにした短歌24首(巻第4-587~610)で一つの〈作品〉としての達成があると捉えることができるのです。むしろ編集の「妙」に他ならないと思料するところであり、そのおかげで、読む私たちは、笠郎女という一人の女性の人物像がとても強く印象づけられるのです。