大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

入唐使に贈る歌・・・巻第19-4245~4246

訓読 >>>

4245
そらみつ 大和(やまと)の国 あをによし 奈良の都ゆ おしてる 難波(なには)に下(くだ)り 住吉(すみのえ)の 御津(みつ)に船乗(ふなの)り 直(ただ)渡り 日の入る国に 任(ま)けらゆる 我(わ)が背(せ)の君を かけまくの ゆゆし畏(かしこ)き 住吉の 我(わ)が大御神(おほみかみ) 船(ふな)の舳(へ)に うしはきいまし 船艫(ふなども)に 立たしいまして さし寄らむ 磯の崎々 漕(こ)ぎ泊(は)てむ 泊(とま)り泊(とま)りに 荒き風 波にあはせず 平(たひら)けく 率(ゐ)て帰りませ もとの国家(みかど)に

4246
沖つ波(なみ)辺波(へなみ)な越(こ)しそ君が船漕ぎ帰り来て津に泊(は)つるまで

 

要旨 >>>

〈4245〉大和の国、この奈良の都から難波に下り、住吉の御津で船に乗り、まっすぐ海を渡って、日の入る唐の国に遣わされる我が背の君よ。口にするのも恐れ多い住吉大社の我らが大御神よ、行く船の舳先を支配なさるべく艫にお立ちになって、立ち寄る磯の崎々でも、停泊するどの港でも、荒い風や波に遇わせることなく、どうか平穏に導いて帰してやってください、もとのこの大和の国に。

〈4246〉沖の波も岸辺の波も、船べりを越すほどに立たないでおくれ。君の一行が船を漕ぎ帰り、この御津に停泊するまで。

 

鑑賞 >>>

 天平5年(733年)、入唐使に贈る歌(作者未詳)で、夫婦の別離を悲しんだ歌とされます。この時の遣唐大使は多治比広成(たじひのひろなり)で、ほかにも広成に山上憶良が贈った歌(巻第5-894~896)、笠金村が贈った歌(巻第8-1453~1454)があります。この時は、総員594名が4隻の船に乗って難波の港を出帆しましたが、船旅は悲惨な結果となり、広成は無事だったものの、2隻しか祖国に戻ってこなかったといいます。

 4245の「そらみつ」「あをによし」「おしてる」は、それぞれ「大和」「奈良」「難波」の枕詞。それぞれの地名を美しく飾ることによって、地霊に挨拶し、加護を願う気持ちが込められています。「日の入る国」は中国。「住吉」は大阪市住吉区。「御津」は、官船の出入りする港を尊んで呼ぶ語。「かけまく」は、口に出して言うこと。「住吉の大御神」は、水上交通を守るとされた住吉大社。「舳」は船首、「艫」は船尾。4246の「辺波」は、岸辺に寄せる波。「な越しそ」の「な~そ」は禁止。