大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

忘るやと物語りして・・・巻第12-2844~2847

訓読 >>>

2844
このころの寐(い)の寝(ね)らえぬは敷栲(しきたへ)の手枕(たまくら)まきて寝(ね)まく欲(ほ)りこそ

2845
忘るやと物語りして心遣(こころや)り過ぐせど過ぎずなほ恋ひにけり

2846
夜も寝(ね)ず安くもあらず白栲(しろたへ)の衣(ころも)は脱かじ直(ただ)に逢ふまでに

2847
後も逢はむ我(あ)にな恋ひそと妹(いも)は言へど恋ふる間(あひだ)に年は経(へ)につつ

 

要旨 >>>

〈2844〉このごろ寝るに寝られないのは、妻と手枕を交わして寝たいと思うからだ。

〈2845〉忘れられるかと、人と世間話などして気を紛らせて、物思いを消し去ろうとしたが、いっそう恋心は募るばかりだ。

〈2846〉夜も寝られず、気も休まることがない。衣は脱がずにいよう、じかに逢うまで。

〈2847〉「また後にはお逢いしましょう。私にそんなに恋い焦がれないで」と妻は言うけれど、恋い続けているうちに年月は過ぎてゆく。

 

鑑賞 >>>

 「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。いずれも、旅にある男が妻に贈った歌。2844の「寐」は眠りの名詞形。「敷栲の」は「枕」の枕詞。久しく逢えないので手枕を巻けない悩ましさを率直に言っています。2845の「忘るや」は、恋の苦しみを忘れることができるだろうか、の意。「物語して」は、話をして。ここでは雑談。「過ぐせど過ぎず」は、忘れようとするが、忘れられず。過去のものとしようとするが、そうはならず。

 2846の「白栲の」は「衣」の枕詞。「衣は脱かじ」は、寝ない意。国文学者の窪田空穂はこの歌について「文芸意識を全く棄て、昂奮した気分を凝集させて、一句で切り、二句で切り、四句で切って、結句で言い据えているという特殊な形の歌である。それでいて一首としては安定感をもち、軽くないものとなっているのは、気分で貫いているからである。手腕ある作というべき」と言っています。

 2847の「我にな恋ひそ」の「な~そ」は禁止。おそらく上の3首を贈られた妻が「後に逢えるので私を恋しがらないで」と落ち着いて答えたのでしょう。それに対し、恋情を抑えきれない夫は、まるで駄々をこねているようであります。

 

柿本人麻呂歌集』について

 『万葉集』には題詞に人麻呂作とある歌が80余首あり、それ以外に『人麻呂歌集』から採ったという歌が375首あります。『人麻呂歌集』は『万葉集』成立以前の和歌集で、人麻呂が2巻に編集したものとみられています。

 この歌集から『万葉集』に収録された歌は、全部で9つの巻にわたっています(巻第2に1首、巻第3に1首、巻第3に1首、巻第7に56首、巻第9に49首、巻第10に68首、巻第11に163首、巻第12に29首、巻第13に3首、巻第14に5首。中には重複歌あり)。

 ただし、それらの中には女性の歌や明らかに別人の作、伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではないようです。題詞もなく作者名も記されていない歌がほとんどなので、それらのどれが人麻呂自身の歌でどれが違うかのかの区別ができず、おそらく永久に解決できないだろうとされています。

 文学者の中西進氏は、人麻呂はその存命中に歌のノートを持っており、行幸に従った折の自作や他作をメモしたり、土地土地の庶民の歌、また個人的な生活や旅行のなかで詠じたり聞いたりした歌を記録したのだろうと述べています。