訓読 >>>
2397
しましくも見ねば恋ほしき我妹子(わぎもこ)を日(ひ)に日(ひ)に来なば言(こと)の繁(しげ)けく
2398
たまきはる代(よ)までと定め頼みたる君によりてし言(こと)の繁(しげ)けく
2399
朱(あか)らひく膚(はだ)に触れずて寝たれども心を異(け)しく我が念(も)はなくに
要旨 >>>
〈2397〉ほんのしばらくでも逢わないと恋しくてならないので、彼女の許へ毎日のようにやって来たなら、さぞかし人の噂が激しいことだろう。
〈2398〉命のある限りと頼みにしているあなた、そのあなたゆえに、世間の噂がこんなにやかましいとは。
〈2399〉今夜はお前の美しい肌にも触れずに一人寝したが、それでも決してお前以外の人を思っているわけではないからね。
鑑賞 >>>
「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。2397の「しましく」は、しばらく、少しの間。「繁けく」は、形容詞「繁し」の名詞形。2398の「たまきはる」は原文「年切」で、「たま」は年齢、「きはる」は極まるで、極限のある意。人の寿命は定まっている意から「代」の枕詞。「代」は、生涯。「君によりてし」の「し」は、強意。2397の歌に対する女の答歌と取れます。
2399の「朱らひく」は、赤い血潮がたぎる意で、血行がよく健康な肌のこと。「心を異しく」は、心が変わって。男の歌として解しましたが、どちらの歌かは不明です。男の歌だとすると、同宿したにもかかわらず相手の女の肌に触れなかったことを弁解しており、女の歌だとすると、何らかの事情で男に断って言った形のものです。いずれの場合も理由ははっきりしませんが、あるいはこの時代、女性は神事に奉仕する場合が多く、その期間は男女関係を断つことになっていたといいますから、そのせいかもしれません。
『柿本人麻呂歌集』について
『万葉集』には題詞に人麻呂作とある歌が80余首あり、それ以外に『人麻呂歌集』から採ったという歌が375首あります。『人麻呂歌集』は『万葉集』成立以前の和歌集で、人麻呂が2巻に編集したものとみられています。
この歌集から『万葉集』に収録された歌は、全部で9つの巻にわたっています(巻第2に1首、巻第3に1首、巻第3に1首、巻第7に56首、巻第9に49首、巻第10に68首、巻第11に163首、巻第12に29首、巻第13に3首、巻第14に5首。中には重複歌あり)。
ただし、それらの中には女性の歌や明らかに別人の作、伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけではないようです。題詞もなく作者名も記されていない歌がほとんどなので、それらのどれが人麻呂自身の歌でどれが違うかのかの区別ができず、おそらく永久に解決できないだろうとされています。
文学者の中西進氏は、人麻呂はその存命中に歌のノートを持っており、行幸に従った折の自作や他作をメモしたり、土地土地の庶民の歌、また個人的な生活や旅行のなかで詠じたり聞いたりした歌を記録したのだろうと述べています。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について