訓読 >>>
3684
秋の夜を長みにかあらむなぞここば寐(い)の寝(ね)らえぬもひとり寝(ぬ)ればか
3685
足日女(たらしひめ)御船(みふね)泊(は)てけむ松浦(まつら)の海(うみ)妹(いも)が待つべき月は経(へ)につつ
3686
旅なれば思ひ絶えてもありつれど家にある妹(いも)し思ひ悲(がな)しも
3687
あしひきの山飛び越ゆる鴈(かり)がねは都に行かば妹(いも)に逢ひて来(こ)ね
要旨 >>>
〈3684〉秋の夜が長いせいであろうか、どうしてこんなに寝るに寝られないのか、たった一人で寝るからだろうか。
〈3685〉足日女(たらしひめ)の御船が泊まったという、この松浦の海、その名のように妻が待っているはずの約束の月も、いたずらに去っていく。
〈3686〉旅の身なので何とか諦めてはいたが、家に残してきた妻のことだけは、思うと悲しい。
〈3687〉山を飛び越えていく雁よ、奈良の都に飛んでいったなら、ぜひ妻に逢ってきておくれ。
鑑賞 >>>
肥前国(佐賀県・長崎県)松浦郡(ひぜんのくにまつらのこおり)の狛島(こましま)に停泊した夜、海の波をはるかに眺めてそれぞれ旅の心を悲しんで作った歌。3684の「夜を長み」は、夜が長いので。「ここば」は、たいそう、甚だしく。
3685の上3句は「待つ」を導く序詞。「足日女」は神功皇后。「御船」は新羅征伐の御船。九州の松浦や引津には、新羅と戦った神功皇后の伝説が残っています。無事に帰ってきた皇后にあやかって、足日女の名を口にすることにで、その加護を期待しています。3686の「思ひ絶えて」は、諦めて。3687の「あしひきの」は「山」の枕詞。「来ね」の「ね」は、願望。
一行は6月に難波を出発して、順調なら3か月ぐらいで帰れるはずでしたが、秋の七夕は筑紫の館で迎え、この時はおそらく8月にさしかかっていたでしょう。まだ往路の半ばであり、なかなか帰れません。ずいぶん時間が経っているのに連絡の方法もなく、辛い妻恋の気持ちを歌っています。