大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

遣新羅使人の歌(18)・・・巻第15-3665~3667

訓読 >>>

3665
妹を(いも)思ひ寐(い)の寝(ね)らえぬに暁(あかとき)の朝霧(あさぎり)隠(ごも)り雁(かり)がねぞ鳴く
3666
夕(ゆふ)されば秋風寒し我妹子(わぎもこ)が解洗衣(ときあらひごろも)行きて早(はや)着む
3667
我(わ)が旅は久しくあらしこの我(あ)が着る妹(いも)が衣(ころも)の垢(あか)つく見れば

 

要旨 >>>

〈3665〉妻を思ってよく寝られないでいると、明け方の朝霧に包まれて雁が鳴いている。

〈3666〉夕方になると秋風が寒い。いとしい妻が私の着物を脱がせて洗ってくれたものだが、その着物を早く帰って着たいものだ。

〈3667〉我らの旅はもうずいぶん長くなったようだ。私が着ている妻の下着に垢が付いているのを見ると。

 

鑑賞 >>>

 題詞に「海辺にして月を望みて作る歌九首」とあるうちの3首。ただし、これら9首に月の歌はなく、月見の宴は催したものの月は見られなかったのかもしれません。

 3665の「寐の寝らえぬ」は、眠ることができない。「雁がね」は、雁。3666の「夕されば」は夕方になると。「解洗衣」は、古着の縫いをほどいて洗い、ぴんと張って縫い直した衣のこと。解洗衣を恋しく思うのは、着替えの少ない身分の低い人だったようです。3667について、男女が別れるとき、再会を約してお互いの下着を交換し、逢うまでは脱がないという習いがありました。現代の感覚からすると妙に感じますが、当時の下着に男女の区別はほとんどなく、同じようなものを身に着けていたと考えられています。そのの汚れから、別れてから経た月日の長さを実感しています。もっとも、妻のほうはとっくに着替えたでしょうけど。