大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

大伴坂上郎女の「神を祭る歌」・・・巻第3-379~380

訓読 >>>

379
ひさかたの 天(あま)の原より 生(あ)れ来(きた)る 神の命(みこと) 奥山の 賢木(さかき)の枝に 白香(しらか)付く 木綿(ゆふ)取り付けて 斎瓮(いはひへ)を 斎(いは)ひ堀りすゑ 竹玉(たかたま)を 繁(しじ)に貫(ぬ)き垂(た)れ 鹿(しし)じもの 膝(ひざ)折り伏して たわやめの 襲(おすひ)取りかけ かくだにも 我(わ)れは祈(こ)ひなむ 君に逢はじかも

380
木綿(ゆふ)たたみ手に取り持ちてかくだにも我(わ)れは祈(こ)ひなむ君に逢はじかも

 

要旨 >>>

〈379〉高天原の神の御代から生まれ出た先祖の神よ。奥山から取ってきた賢木の枝に白香や木綿を取り付けて、かめを土を掘って据え付け、さらに竹玉を連ねて垂らす。私は獣のように膝を折って伏せ、たわや女なので薄衣を羽織り、こんなにまでして祈っています。愛しいあの人に逢えないかと思って。

〈380〉木綿で作った敷物を両手に捧げ、これほどにお祈りしています。愛しいあの人に逢えないかと思って。

 

鑑賞 >>>

 「神を祭る」歌。左注に、天平5年(733年)11月に大伴氏の氏神を祭ったときに作った歌とあります。

 大伴坂上郎女(生没年不明)は大伴旅人の妹で、大伴家持の叔母にあたります。若い時に穂積皇子(ほづみのみこ)に召され、その没後は藤原不比等の子・麻呂の妻となりますが、すぐに麻呂は離れてしまいます。後に、前妻の子もある大伴宿奈麻呂(異母兄)に嫁して、坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)と二嬢(おといらつめ)を生みました。後に、長女は家持の妻となり、次女は大伴駿河麻呂(おおとものするがまろ)の妻となりました。

 『万葉集』の女性歌人としては最も歌の数が多く、題材も、祭神歌、挽歌など多岐にわたります。作風は、洗練の度を加えた時代的な好尚を反映して、とりわけ恋の歌において即興的・機知的な才を遺憾なく発揮しています。とはいえ、決して才走ることなく、圭角のない気品に満ちた、そして、あくまで女っぽい歌人であったと感じられます。また、旅人の死後は、家刀自として一族をとりしきった逞しい女性でもありました。この歌が詠まれた時の郎女は40歳前後、旅人が没して2年余後にあたります。

 379の「ひさかたの」は「天」の枕詞。「賢木」は、清浄として選ばれた木。「白香付く」は「木綿」の枕詞。「木綿」は、楮(こうぞ)の繊維を白くさらした幣帛(へいはく)。「斎瓮」は、神酒を盛る土器。「竹玉」は、細い竹を輪切りにして緒を通した祭具。「鹿じもの」は、猪鹿のように。「たわやめ」は、しなやかな女性。「襲」は、神事の衣服。「かくだにも」は、これほどまでにも。

 氏の神を祭るという、一族における郎女の立場を明確に示す歌ではあるものの、長歌の末尾と反歌の語句が、いかにも恋の成就を願うようになっていることから、亡夫の宿奈麻呂を背景に詠まれた、あるいは同じく氏神の列に加わったばかりの旅人の霊のよみがえりを訴えたものではないかとされます。

 なお、郎女の結婚歴について、作家の大嶽洋子は次のように語っています。「藤原麻呂との恋を失った後、郎女は年老いた異母兄の大伴宿奈麻呂に嫁ぐ。どうして、このような当代随一ともいえそうな才色兼備の女性が、よりにもよって再び歳の離れた男性と再婚したのだろう? 勿論、これは推測なのだが、老いたるとはいえ、稀代のフェミニストにして優男の穂積皇子との優しい生活の影響があったと私は思う。身を焼き尽くすような激しい恋の苦しさを充分に味わった末、傷を癒すために穏やかな世界へ逃げ込んだのではないかと。しかし、宿奈麻呂も高齢ですぐに死んでしまうが、郎女には坂上大嬢と二嬢の二人の娘が残される。この頃から、郎女は心に幾重もの薄衣を巻いて、真の恋を避ける用心をしていたのではないか。歌の様相が理知的になってくる」