訓読 >>>
4340
父母(ちちはは)え斎(いは)ひて待たね筑紫(つくし)なる水漬(みづ)く白玉(しらたま)取りて来(く)までに
4341
橘(たちばな)の美袁利(みをり)の里に父を置きて道の長道(ながち)は行きかてのかも
要旨 >>>
〈4340〉父さん母さん、私の無事を神に祈って待っていて下さい。筑紫の海に漬かっている真珠を取って帰ってくるまで。
〈4341〉橘の美袁利(みおり)の里に父を残し、長い旅の道は行きかねることだ。
鑑賞 >>>
駿河国の防人の歌。作者は、4340が川原虫麻呂(かわらのむしまろ)、4341が丈部足麻呂(はせべのたりまろ)。
4340の「父母え」の「え」は「よ」の方言。「斎ひて」は、潔斎して。「水漬く白玉」は、水に漬かっている真珠。窪田空穂は、「『筑紫なる水漬く白玉』は、憧れを持っていっている形のものであるが、親の心を引き立てようとして、わざと設けていっているものとも取れて、幅の広い語である。これは上の歌(4339)よりも、さらに明るい心をもっていっているものである」と評しています。
4341の「橘」は地名で、静岡市清水区立花か。「美袁利の里」は、所在未詳。「道の長道」は、駿河から難波までの遠い道のり。「行きかてぬかも」の「かてぬ」は、できない、しかねる。「かも」は、詠嘆。なお、父への思いを詠んだ歌は珍しく、防人歌のなかで、父だけをあげているのはわずかに1首、「父母」と記しているのが8首、「母父」と記しているのが3首、母だけをあげているのが10首となっています。この時代、父母健在でも、子が母とのみ住むケースはあるにせよ、母をほかにおいて父と子というケースは考えられません。この作者の場合、母親が早くに亡くなるかして、父子家庭だったと見られています。
※ 参考文献はこちらに記載しています。⇒『万葉集』について