大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

八雲さす出雲の子らが・・・巻第3-429~430

訓読 >>>

429
山の際(ま)ゆ出雲(いづも)の子らは霧(きり)なれや吉野の山の嶺(みね)にたなびく

430
八雲(やくも)さす出雲(いづも)の子らが黒髪は吉野の川の沖になづさふ

 

要旨 >>>

〈429〉山の間から湧き立つ雲のように溌剌としていた出雲の娘子は霧になったのだろうか、吉野の山々の峰にたなびいている。

〈430〉たくさんの雲が湧き立つように生き生きとしていた出雲の娘子の黒髪は、吉野の川の沖に漂っている。

 

鑑賞 >>>

 「溺れ死にし出雲娘子(いづものをとめ)を吉野に火葬(やきはぶ)る時、柿本朝臣人麻呂の作る歌二首」。吉野行幸の折、出雲の娘子が吉野川に入水自殺しました。娘子は出雲出身の采女ではないかとされますが、入水の原因は分かりません。

 429は、たなびく火葬の煙を霧にたとえて歌い、430は、彼女が発見された時の姿そのままを、黒髪に焦点をあてて描いています。「山の際」は山と山の間。「子ら」の「ら」は複数を示すのではなく、親しみを込めて付した語。「八雲さす」は群がる雲がさし出る意で「出雲」の枕詞。

 斎藤茂吉はこれらの歌から、「人麻呂はどんな対象に逢着しても真心をこめて作歌し、自分のために作っても依頼されて作っても、そういうことは一如にして実行した如くである」と言っています。