大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

川上のつらつら椿・・・巻第1-56

訓読 >>>

川上のつらつら椿(つばき)つらつらに見れども飽かず巨勢(こせ)の春野は

 

要旨 >>>

川沿いに連なっている椿をよくよく眺めているけれど、巨勢の春野は飽きないことだ。

 

鑑賞 >>>

 持統太上天皇紀伊国行幸随行して詠まれた歌です。作者の春日蔵首老(かすがのくらびとおゆ)は、弁記という法名の僧だったのが、朝廷の命により還俗させられ、春日倉首(かすがのくらのおびと)の姓と老の名を賜わったとされる人物です。『万葉集』には8首の歌が載っています(「春日歌」「春日蔵歌」と記されている歌を老の作とした場合)。

 題詞には「秋九月」の作とあるので、椿の花が咲いているのを想像して詠んだ歌のようです。「つらつら椿」は椿の花や葉が連なっている様子または椿の並木、「つらつらに」はつくづくと、念を入れてみる様子を意味します。椿は古来、春の到来を告げる聖なる 木とされ、椿の生える山は椿山と呼んで神を祭っていました。「巨勢」は奈良県御所市古瀬のあたりとされます。

 なお、同じ題詞の下に、坂門人足(さかとのひとたり)の

「巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を」(巻第1-54)

の歌もあります。同時代の人なので、どちらが後から模倣して作ったかは明らかではありませんが、歌の出来栄えから、人足の方が模倣したとみられています。模倣とはいえ、当時の歌は口承文学の域を脱しきらず、創意ある歌であっても、一たび発表すれば共有の物と化しましたから、問題にされたりはしませんでした。いずれも口調のいい楽しい歌で、のどかな童謡のようでもあります。