大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

立山に降り置ける雪を・・・巻第17-4000~4002

訓読 >>>

4000
天離(あまざか)る 鄙(ひな)に名かかす 越(こし)の中(なか) 国内(くぬち)ことごと 山はしも しじにあれども 川はしも 多(さは)に行けども 統神(すめかみ)の 領(うしは)きいます 新川(にひかは)の その立山(たちやま)に 常夏(とこなつ)に 雪降り敷(し)きて 帯(お)ばせる 片貝川(かたかひがは)の 清き瀬に 朝夕(あさよひ)ごとに 立つ霧(きり)の 思ひ過ぎめや あり通(がよ)ひ いや年のはに よそのみも 振(ふ)り放(さ)け見つつ 万代(よろづよ)の 語らひぐさと いまだ見ぬ 人にも告げむ 音(おと)のみも 名のみも聞きて 羨(とも)しぶるがね

4001
立山(たちやま)に降り置ける雪を常夏(とこなつ)に見れども飽(あ)かず神(かむ)からならし

4002
片貝(かたかひ)の川の瀬清く行く水の絶ゆることなくあり通(がよ)ひ見む

 

要旨 >>>

〈4000〉都から遠く離れた地でも特に名の聞こえた立山、この越中の国の中には、至るところに山が連なり、川も多く流れているけれど、国の神が支配しておられる、新川郡のその立山には、夏の真っ盛りだというのに雪が降り積もっており、帯のように流れ下る片貝川の清らかな瀬に、朝夕ごとに立ちこめる霧のように、この山への思いが消えることがあろうか。ずっと通い続けて年が変わるごとに、遠くからなりとも振り仰いで眺めては、万代の語りぐさとして、まだ立山を見たことがない人々にも語り告げよう。噂だけでも名を聞いただけでも羨ましがるように。

〈4001〉立山に降り積もっている雪を、夏の真っ盛りに見ても見飽きることがないのは、この山の貴さのせいであろう。

〈4002〉片貝川の瀬を清らかに流れる水のように、絶えることなく、ずっと通い続けてあの立山を見よう。

 

鑑賞 >>>

 題詞に「立山の賦」とある大伴家持作の長歌と短歌。「賦」というのは古代中国の韻文における文体の一つですが、ここでは詩歌の意味。越中国府から眺望できた「立山」は、富山県の東南部にそびえる立山連峰で、主峰の雄山は標高3,003mあります。古くは「多知夜麻」と称し、神々が宿る山々として信仰されてきました。

 4000の「天離る」は「鄙」の枕詞。「越」は北陸地方の古称で、福井・石川・富山・新潟の4県にあたります。「ことごと」は残らず、ある限り。「しじに」は数多く。「統神」は一定の地域を支配する神のこと。「領く」は土地を支配する。「新川」は越中の東半分の郡。「片貝川」は立山の北の猫又山に発し、魚津で富山湾に注ぐ川。「年のは」は毎年。「羨しぶる」はうらやましがる。「がね」は願望の助詞。

 4001の「神からならし」は、この山の神の貴さのせいであろう。「ならし」は「なる・らし」の転。4002の上3句は「絶ゆることなく」を導く序詞。「あり通ひ」は通い続け。