大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

山の黄葉今夜もか・・・巻第8-1587

訓読 >>>

あしひきの山の黄葉(もみちば)今夜(こよひ)もか浮かび行くらむ山川(やまがは)の瀬に

 

要旨 >>>

この山の黄葉は今夜にも散って、浮かんで流れていくことだろうか、山川の瀬に。

 

鑑賞 >>>

 天平10年(738年)ころの冬、大伴書持橘奈良麻呂の宴に出席し、諸詩人と競い合って詠んだ歌。「あしひきの」は「山」の枕詞。

 この歌について、斎藤茂吉は次のように言っています。「皆黄葉(もみじ)を内容としているが書持の歌い方が稍やや趣(おもむき)を異(こと)にし、夜なかに川瀬に黄葉の流れてゆく写象を心に浮べて、『今夜こよひもか浮びゆくらむ』と詠歎している。ほかの人々の歌に比して、技巧の足りない稚拙(ちせつ)のようなところがあって、何時(いつ)か私の心を牽(ひ)いたものだが、今読んで見ても幾分象徴詩的なところがあっておもしろい。また所謂(いわゆる)万葉的常套(じょうとう)を脱しているのも注意せらるべく、万葉末期の、次の時代への移行型のようなものかも知れぬが、そういう種類の一つとして私は愛惜している。そして天平十年が家持二十一歳だとせば、書持はまだ二十歳にならぬ頃に作った歌ということになる」

 大伴書持は旅人の子で、家持の異母弟にあたります(生年不明)。続日本紀などに名は見えず、また『万葉集』を見ても官職に就いていた形跡はありません。家持が越中国守に赴任した年(746年)の9月、家持は使いの者から書持の死を知らされました。この時の家持は29歳でしたから、書持はあまりに若くして亡くなっています。弟の臨終に立ち会うことができなかった家持が作った哀傷歌が、巻第17にあります(3957~3959)。