大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

我が宿の花橘は・・・巻第10-1969

訓読 >>>

我が宿(やど)の花橘(はなたちばな)は散りにけり悔(くや)しき時に逢へる君かも

 

要旨 >>>

我が家の庭の花橘は散ってしまいました。こんな時にあなたにお逢いするのがとても残念です。

 

鑑賞 >>>

 類想の多い歌であり、来訪した客に対して、挨拶の心をもって詠んだ、社交上の歌であるとされます。「花橘」の代わりに色んな花の名を入れて使えそうで、ひょっとして万葉びとはそうした楽しみ方をしたのかもしれません。

 「橘」は、『日本書紀』によれば、垂仁天皇の代に、非時香菓(ときじくのかくのみ:時を定めずいつも黄金に輝く木の実)を求めよとの命を受けた田道間守(たじまもり)が、常世(仙境)に赴き、10年を経て、労苦の末に持ち帰ったと伝えられる植物です。しかしその時、垂仁天皇はすでに崩御しており、それを聞いた田道間守は、嘆き悲しんで天皇の陵で自殺しました。次代の景行天皇が田道間守の忠を哀しみ、垂仁天皇陵近くに葬ったとされます。そうした伝説が影響してか、宮廷の貴族たちは好んで庭園に橘を植えたといいます。