大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

新室の壁草刈りに・・・巻第11-2351~2352

訓読 >>>

2351
新室(にひむろ)の壁草(かべくさ)刈りにいましたまはね 草のごと寄り合ふ娘子(をとめ)は君がまにまに

2352
新室(にひむろ)を踏み鎮(しづ)む子し手玉(ただま)鳴らすも 玉の如(ごと)照りたる君を内へと白(まを)せ

 

要旨 >>>

〈2351〉新しく建てている家の壁草を刈りにいらっしゃい。その草のように寄り集まった乙女たちは、あなたのお気に召すままに。

〈2352〉新しい家を造る地鎮の祭りの、大勢の乙女らが手飾りの玉を鳴らしているのが聞こえる。あの玉のような立派な男子を、この新しい家に入るようにご案内しろ。

 

鑑賞 >>>

 巻第11の冒頭の歌で、いずれも旋頭歌の形式(5・7・7・5・7・7)で詠まれています。巻第11の冒頭には、『柿本人麻呂歌集』および『古歌集』からとられた旋頭歌17首が並びます。巻第11・12ともに、最初に『柿本人麻呂歌集』の歌を載せた後で、それ以外の歌を載せるという体裁になっています。『万葉集』には62首の旋頭歌があり、うち35首が『柿本人麻呂歌集』に収められています。これらは作者未詳歌と考えられており、万葉の前期に属する歌とされます。旋頭歌の名称の由来は、上3句と下3句を同じ旋律に乗せて、あたかも頭(こうべ)を旋(めぐ)らすように繰り返すところからの命名とする説がありますが、はっきりしていません。その多くが、上3句と下3句とで詠み手の立場が異なる、あるいは、上3句である状況を大きく提示し、下3句で説明や解釈を加えるかたちになっています。

 2351・2352の「新室」は新しく建てた家。「壁草」は壁にする草のことで、草で編んだものを壁にしたようです。2351は、その草刈りを口実に「君」を招き、娘との婚姻を促しています。「まにまに」は、思うままに。2352の「新室を踏み鎮む」は、地を掘って立てた柱を堅固にするため、そのもとを踏み固めた神事。「手玉」は手に巻く玉で、当時の女性の礼装。

 なお、これら旋頭歌について斎藤茂吉は「明らかに人麻呂作と記されている歌に旋頭歌は一つもないのに、人麻呂歌集にはまとまって旋頭歌が載っており、相当におもしろいものばかりであるのを見れば、あるいは人麻呂自身が何かの機縁にこういう旋頭歌を作り試みたものであったのかもしれない」と言っています。

 また、窪田空穂万葉集評釈』には、次のような説明があります。「旋頭歌は歴史的にいうと短歌より一時代前のもので、後より興った短歌に圧倒されて衰運に向かった歌体である。さらにいうと、歌が集団の謡い物であった時代には好適な歌体とされていたのであるが、徐々に個人的の読み物となってくると、新興の短歌のほうがより好適な歌体とされて、それに席を譲らねばならなかったのである。

 人麿時代には旋頭歌はすでに時代遅れな古風なものとなって廃っていて、人麿はその最後の作者だったかの観がある。人麿は一面には保守的な人であり、謡い物風な詠み方を愛していた人なので、旋頭歌という古風な歌体に愛着を感じているとともに、短歌にくらべては暢びやかで、したがって謡い物の調子の多いこの歌体そのものをも愛好していたのだろうと思われる」