大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

長谷の五百槻が下に・・・巻第11-2353~2354

訓読 >>>

2353
長谷(はつせ)の五百槻(ゆつき)が下(もと)に吾(わ)が隠せる妻 茜(あかね)さし照れる月夜(つくよ)に人見てむかも

2354
ますらをの思ひ乱れて隠せるその妻(つま) 天地(あめつち)に通り照るともあらはれめやも [一云 ますらをの思ひたけびて]

 

要旨 >>>

〈2353〉長谷の、槻の木の繁った下に隠しておいた妻。月の光が明るい晩に、誰か他の男に見つかったかもしれない。

〈2354〉男子たるものが思い乱れて隠した妻は、月が天地にあまねく照り輝こうと、見つかることなどあるものか。

 

鑑賞 >>>

 『柿本人麻呂歌集』からの旋頭歌2首。2353の「長谷(泊瀬)」は、現在の奈良県桜井市初瀬町。「五百槻」はたくさんの枝がある槻(けやき)、または初瀬方面から見た巻向の弓月が岳のこと。「茜さし」は茜色が混じって。2354は2353と一連になっており、問答として記録されているわけではありませんが、2353で妻との恋の露見を不安に思って自問し、2354で自答してその不安を自身で打ち消しています。あるいは2354は妻の答歌とする見方もあります。