大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

柿本人麻呂、妻が亡くなった後に作った歌(3)・・・巻第2-213~216

訓読 >>>

213
うつそみと 思ひし時に 携(たづさ)はり 我(わ)が二人見し 出で立ちの 百枝槻(ももえつき)の木 こちごちに 枝させるごと 春の葉の 茂(しげ)きがごとく 思へりし 妹(いも)にはあれど たのめりし 妹にはあれど 世の中を 背(そむ)きし得ねば かぎろひの 燃ゆる荒野(あらの)に 白たへの 天領巾隠(あまひれがく)り 鳥じもの 朝立ちい行きて 入り日なす 隠(かく)りにしかば 我妹子(わぎもこ)が 形見に置ける みどり子の 乞(こ)ひ泣くごとに 取り委(まか)す 物しなければ 男じもの 腋(わき)ばさみ持ち 我妹子と 二人わが寝し 枕づく 嬬屋(つまや)のうちに 昼は うらさび暮らし 夜は 息づき明かし 嘆けども せむすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ 大鳥(おほとり)の 羽易(はがひ)の山に 汝(な)が恋ふる 妹はいますと 人の言へば 岩根(いはね)さくみて なづみ来(こ)し 吉(よ)けくもぞなき うつそみと 思ひし妹が 灰(はひ)にていませば

214
去年(こぞ)見てし秋の月夜(つくよ)は渡れども相(あひ)見し妹(いも)はいや年(とし)離(さか)る

215
衾道(ふすまぢ)を引出(ひきで)の山に妹(いも)を置きて山道(やまぢ)思ふに生けるともなし

216
家に来て我が屋を見れば玉床(たまどこ)の外(ほか)に向きけり妹(いも)が木枕(こまくら)

 

要旨 >>>

〈213〉この世にずっといると思っていた妻と手を携えて見た、まっすぐに突き立つ百枝の槻の木。その木があちこちに枝を伸ばしているように、春の葉がびっしりと生い茂っているように、絶え間なく愛しく思っていた妻であり、頼みにしていた彼女であったのに、無常の世の道理に背くことはできず、陽炎(かげろう)がゆらめく荒野に、真っ白な天女の領巾に覆われて、鳥でもないのに朝早く飛び立ってしまい、夕日のように隠れてしまったので、妻が形見として残していった幼な子が、何かを欲しがり泣くたびに、与えるものも無く、男だというのに脇に抱えて、いとしい妻と寝た離れの中で、昼には心寂しく過ごし、夜にはため息をついて明かし、いくら嘆いてもどうしようもなく、恋焦がれても逢えず、羽易の山に妻がいると人が言ってくれるので、大地に根を張ったような大きな岩を踏み分けて、骨折りながらやって来たものの、その甲斐も無い。ずっとこの世の人だと思っていた妻が、空しくも灰となっておられるので。

〈214〉去年の秋に見た月は、今夜も同じように渡っていく。一緒に見た妻との思い出も歳月を経れば遠ざかっていく。

〈215〉妻を置いてきた引手の山に別れを告げて、その山道を思うと生きた心地もしない。

〈216〉家に帰り着いて、夫婦で寝た部屋を見ると、妻の木枕があらぬ方向に向いて転がっていた。

 

鑑賞 >>>

 巻第2-210~212の後に「或る本の歌に曰く」とある歌。人麻呂の前の歌が伝唱されているうちに、伝唱者によって部分的に改められていったものが記録されたもの考えられています。216の「玉床」の「玉」は美称で、死者の寝床を尊んで言っています。「木枕」は、黄楊(つげ)などで作った枕だとされます。この時代は、その人が身に付けた物は、その人の魂が宿るものとして重んじ、ことに床や枕を重んじて、その人が余所へ行って不在の時、また死後も一年の間は大切にして手を触れず、粗末にすると、その人に災いが起こると信じられていたといいます。