大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

天の川霧立ちわたる・・・巻第10-2067~2069

訓読 >>>

2067
天(あま)の川(がは)渡り瀬(ぜ)深み舟(ふね)浮(う)けて漕(こ)ぎ来る君が楫(かぢ)の音(おと)聞こゆ

2068
天(あま)の原(はら)振り放(さ)け見れば天(あま)の川(がは)霧(きり)立ちわたる君は来(き)ぬらし

2069
天(あま)の川(がは)瀬ごとに幣(ぬさ)をたてまつる心は君を幸(さき)く来ませと

 

要旨 >>>

〈2067〉天の川の渡し場の瀬が深いので、舟を浮かべて漕いでくるあの方の櫓の音が聞こえる。

〈2068〉空を振り仰いでみると、天の川に霧が立ちこめている、あの方の舟が来たらしい。

〈2069〉天の川の瀬ごとに神にお供えするのは、あなたがご無事にいらっしゃるようにと祈る思いからです。

 

鑑賞 >>>

 七夕の歌。いずれも織女の立場から詠っています。旧暦7月7日に行われていた七夕の行事は、明治の改暦により新暦(現在の暦)の7月7日に行うのが一般的となりました。 旧暦の七夕の日は、現在の七夕よりも約1ヶ月遅く、8月20日ごろとされます。

 2067の「渡り瀬深み」は、渡し場の瀬が深いので。2068の「天の原」は、空の広大なさまを言ったもの。「振り放け見れば」は、身を反らして仰ぎ見れば。「霧」は、舟の立てる水煙としていっています。2069の「瀬ごとに」の「瀬」は渡し場の瀬。川幅の広い天の川の河原と渡瀬が交互に連続しているさまを想像しています。「幣」は、神に祈るときに捧げるもの。地上では、異境の地に入るたびに、その地の神に幣を捧げて通行するので、それを天の川に転じ、織女が彦星に代わってするさまを詠っています。

 

 

 

七夕の歌

 中国に生まれた「七夕伝説」が、いつごろ日本に伝来したかは不明ですが、上代の人々の心を強くとらえたらしく、『万葉集』に「七夕」と題する歌が133首収められています。それらを挙げると次のようになります。

巻第8
山上憶良 12首(1518~1529)
湯原王 2首(1544~1545)
市原王 1首(1546)
巻第9
間人宿祢 1首(1686)
藤原房前 2首(1764~1756)
巻第10
人麻呂歌集 38首(1996~2033)
作者未詳 60首(2034~2093)
巻第15
柿本人麻呂 1首(3611)
遣新羅使人 3首(3656~3658)
巻第17
大伴家持 1首(3900)
巻第18
大伴家持 3首(4125~4127)
巻第19
大伴家持 1首(4163)
巻第20
大伴家持 8首(4306~4313)

 このうち巻第10に収められる「七夕歌」について、『日本古典文学大系』の「各巻の解説」に、次のように書かれています。

―― 歌の制作年代は、明日香・藤原の時代から奈良時代に及ぶものと見られ、風流を楽しむ傾向の歌、繊細な感じの歌、類想、同型の表現、中国文化の影響などが相当量見出される点からして、当代知識階級の一番水準の作が主となっていると思われる。同巻のうちにも、他の巻にも、類想・類歌のしばしば見られるのはその為であろう。――

 また、巻第10所収の『柿本人麻呂歌集』による「七夕歌」には、牽牛と織女のほかに、二人の間を取り持つ使者「月人壮士」が登場しており、中国伝来のものとは違う、新たな「七夕」の物語をつくりあげようとしたことが窺えます。