訓読 >>>
2042
しばしばも相(あひ)見ぬ君を天の川 舟出(ふなで)早(はや)せよ夜(よ)の更けぬ間に
2043
秋風の清き夕(ゆふへ)に天の川舟漕ぎ渡る月人壮士(つきひとをとこ)
2044
天の川 霧(きり)立ちわたり彦星(ひこほし)の楫(かぢ)の音(おと)聞こゆ夜(よ)の更けゆけば
要旨 >>>
〈2042〉たびたび逢えないあなたですのに、天の川に早く舟出して下さい。夜が更ける前に。
〈2043〉秋風がすがすがしい今夜、天の川に舟を出して漕ぎ渡っている、月人壮士が。
〈2044〉天の川に霧がたちこめてきて、彦星が舟を漕ぐ楫の音が聞こえる。次第に夜が更けてゆくと。
鑑賞 >>>
七夕の歌。2043の「月人壮士」は、月を擬人化したもの、月の神、月の若者、牽牛(彦星)などとする説があるようです。「月人壮士」という表現は、『万葉集』の七夕歌のうち5首に使われています。
七夕と『万葉集』
年に一度、7月7日の夜のみ逢うことを許された牽牛と織女の二星の物語は、もともと古代中国で生まれた伝説で、漢水流域で、機織りを業とする処女と若い農夫との漢水を隔てての恋物語が、初秋の夜空に流れる天の川に投影されたのがその原型とされます。
この「七夕伝説」がいつごろ日本に伝来したかは不明ながら、七夕の宴が正史に現れるのは天平6年(734年)で、「天皇相撲の戯(わざ)を観(み)る。是の夕、南苑に徒御(いでま)し、文人に命じて七夕の詩を腑せしむ」(『続日本紀』)が初見です。ただし『万葉集』の「天の川安の河原・・・」(巻10-2033)の左注に「この歌一首は庚辰の年に作れり」とあり、この「庚辰の年」は天武天皇9年(680年)・天平12年のいずれかで、前者とすれば、天武朝に七夕歌をつくる風習があったことになります。七夕の宴の前には天覧相撲が行われました。
『万葉集』中、七夕伝説を詠むことが明らかな歌はおよそ130首あり、それらは、人麻呂歌集、巻第10の作者未詳歌、山上憶良、大伴家持の4つの歌群に集中しています。妻問い婚という形態と重ねられるゆえに流行しましたが、その範囲は限定的ともいえ、もっぱら宮廷や貴族の七夕宴などの特定の場でのみ歌われたようです。七夕伝説は、当時まだ一般化していなかったと見えます。