大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

桜井王と聖武天皇の歌・・・巻第8-1614~1615

訓読 >>>

1614
九月(ながつき)のその初雁(はつかり)の使(つかひ)にも思ふ心は聞こえ来(こ)ぬかも

1615
大(おほ)の浦(うら)のその長浜(ながはま)に寄する波ゆたけく君を思ふこのころ

 

要旨 >>>

〈1614〉九月にやって来る初雁の使いでなりとも、大君が私を思って下さる心は聞こえてこないものでしょうか。

〈1615〉大の浦のその長浜に打ち寄せる波のように、心ゆったりとあなたのことを思っているこのころです。

 

鑑賞 >>>

 1614は、遠江守の桜井王(さくらいのおおきみ)が聖武天皇に奉った歌、1615は、聖武天皇がお答えになった歌。遠江静岡県西部。琵琶湖を近江とするのに対し、かつて淡水湖だった浜名湖遠江としています。桜井王は、長皇子の孫で、天平3年(731年)従四位下遠江守、大蔵卿などを歴任、「風流侍従」の一人として活躍。同11年(739年)に兄弟の高安王、門部王らと共に大原真人姓を賜与され臣籍降下しました。『万葉集』には2首。

 1614は、秋になり、京から何らかの人事発令があるのではと心待ちにしている気持ちを「九月のその初雁の使にも」と言い換えています。おそらく地方官から京の中央官への召し上げを望んでのもので、当時の君臣間の、雅ながらも親密なありようが窺われます。また「初雁の使」は、前漢の蘇武が匈奴に使いして囚われの身となった時、雁の足に文を托して故国に送ったという故事を踏まえています。これに対して天皇の御歌は、言葉少なに含みのある高貴な物言いになっています。

 1614の「ぬかも」は願望。1615の「大の浦」は「遠江国海浜の名なり」との注記があり、静岡県磐田市付近にあった湖とされます。上3句は「ゆたけく」を導く序詞。「ゆたけく」は、ゆったりと。なお、「ゆたけく(原文:寛公)」を「君」にかかる「ゆたけき」と訓んで、ゆったりとしているあなたを、と解釈し、桜井王の風格を愛でたものとする説もあります。しかし、恨み言を言ってきた相手に対し「ゆたけき君」と言うよりは、天皇らしく心ゆったりと思っているとした方がよいように思いますが、いかがでしょう。

 

律令制度の歴史

近江令
 668年、天智天皇の時代に中臣鎌足が編纂したとされるが、体系的な法典ではなく、国政改革を進めていく個別法令群の総称と考えられている。重要なのは、670年に、日本史上最初の戸籍とされる庚午年籍が作成されたことで、氏姓の基準が定められ、その後の律令制の基礎ともなった。

飛鳥浄御原令
 681年に天武天皇律令制定を命ずる詔を発し、持統天皇の時代の689年に「令」の部分が完成・施行された。現存していないが、後の大宝律令に受け継がれる基本的な内容を含む、日本で初めての体系的な法典であったとされている。

大宝律令
 藤原不比等や刑部親王らによって701年に制定・施行された。唐の律令から強い影響を受けた日本初の「律」と「令」が揃った本格的な法典であり、奈良時代以降の中央集権国家体制を構築する上での基本的な内容が盛り込まれた。

養老律令
 大宝律令と同じく藤原不比等らにより718年から編纂が開始され、不比等の死後も編纂が続き、757年に完成・施行された。なお、律令制平安時代の中期になるとほとんど形骸化したが、廃止法令は特に出されず、形式的には明治維新期まで存続した。