大和の国のこころ、万葉のこころ

不肖私がこよなく愛する『万葉集』の鑑賞blogです。

雪の上に照れる月夜に・・・巻第18-4134

訓読 >>>

雪の上(うへ)に照れる月夜(つくよ)に梅の花(はな)折りて送らむはしき子もがも

 

要旨 >>>

雪の上に輝く月の美しいこんな夜に、梅の花を折って贈ってやれる、いとしい娘でもいたらなあ。

 

鑑賞 >>>

 大伴家持が、宴席で「雪、月、梅の花」を詠んだ歌です。「もがも」は願望。高岡市万葉歴史館総括研究員の新谷秀夫氏は、この歌はとくに秀歌として取り上げられることはないとしつつも、次のように指摘しています。

 ――和歌において3つの素材を同時に詠むのは早くても平安時代中期以降であることから、この歌は、和歌史の流れのなかで逸脱している。さらに、四季の代表的風物をあらわす「雪月花」の語の典拠とされる唐代の白居易漢詩『寄殷協律』は、家持のこの歌よりずっと後に作られた詩であり、先駆者家持は、まるで文学史という庭で狂い咲きのように花開いているといって過言ではない。月と雪の取り合わせも『万葉集』ではこの歌だけだ。――

 ついでに、「雪月花」の語の典拠となった白居易の『寄殷協律(殷協律に寄す)』をご紹介しておきます。とてもいい詩です。

五歳優游同過日
一朝消散似浮雲
琴詩酒友皆抛我
雪月花時最憶君
幾度聴鶏歌白日
亦曾騎馬詠紅裙
呉娘暮雨蕭蕭曲
自別江南更不聞

五歳(ごさい)優游(ゆうゆう)して同(とも)に日を過(すご)す
一朝(いっちょう)消散(しょうさん)して浮雲(ふうん)に似(に)たり
琴詩酒(きんししゅ)の友(とも)皆(み)な我(わ)れを抛(なげう)ち
雪月花(せつげつか)の時(とき)最(もっと)も君を憶(おも)う
幾度(いくたび)か鶏(にわとり)を聴いて白日(はくじつ)を歌い
亦(ま)た曾(かつ)て馬に騎(の)りて紅裙(こうくん)を詠(えい)じし
呉娘(ごじょう) 暮雨(ぼう) 蕭蕭(しょうしょう)の曲(きょく)
江南(こうなん)に別れし自(よ)り更(さら)に聞かず

【訳】五年間も一緒にのんびりと穏やかな日を過ごしたのに、ある日、それはまるで浮雲のように消え散ってしまった。共に琴を奏で、詩を吟じ、酒を飲んだ友は、皆私を離れてしまったが、雪や月や花が美しい時は、いちばんに君のことを思う。
 幾度「黄鶏」の歌を聴き、「白日」の曲を歌ったことだろうか。馬に乗って、赤い裾の衣を着た美人を詩に詠じたこともあった。呉二娘の「暮雨蕭蕭」の曲は、君と江南で別れてから、一度も聞いていない。